古くから身近にある美。なぜ人はこんなにも美に関心を寄せるのだろう
古くから美というものは生活の近くにある。いつの時代も嗜みとして一定の基準の美意識があり、その時代を現してきた。
今はテレビもインターネットもあるが、古くにそんなものは無い。そんな時代ですら本や口伝えで美に関する情報が出れば人が集まる。
私はそういう情報を見聞きすると感じるのである。
何故、生きるために必ずしも必要でないものに皆こんなに関心を寄せるのだろうと。
美容にはお金がかかる 同じお金ならいい家に住む、いいものを食べる、好きなところに行く 選択肢は無限にあるはずだ。
私自身、高校を卒業し化粧をするようになった。
しかし心持ちは普通の人とは少しニュアンスが違った。周りの同級生が化粧や髪を染めることに興味を持ちはじめ、美容動画も流行る中私はついていけなかった。
だって心の中で髪を染めるのも化粧も人工物塗って余計に老けそうだと思っていたから。化粧だって年相応だからしなくちゃな、そんな動機がなければしてなかったであろう。
そんな風に思いながら身支度をし仕事に行く。
当たり前の日常が過ぎる中、その日常こそが私に化粧や着飾る意義を教えてくれたのだ。
メイクを変えただけで格段に減った仕事上のトラブル
私の仕事は接客に関わる業務だ。
毎日多くの人と会い気さくに話しかけられることもあればキツいお叱りを受けることもある。まだ生まれて十数年の身分、理不尽にろくに遭ったこともない私には、心ない言葉や態度に傷つくこともあれば腹を立てることもある。
1日の中で数回も同じような場面に遭遇することもあり、仕事が嫌になった時期もあった。
理不尽に遭うのはもう嫌だ、どうしたらそういう人達に堂々と対応できるだろう。そう思い考えた結果が学生感をなくす事だった。
社会人として見られている人はどんな特徴があるか、それを考えながら化粧を変えた。アイシャドウをつけ、アイラインを引き、ビューラーでまつげを上げる そして仕上げの後れ毛アレンジ。
そうしたら不思議な事にそういう理不尽に会う回数が格段に減ったのだ。そして難しいご要望にも大人として焦らず対応できただけでなく、年上の同僚にも意見をすることができるようになった。
ああ、こういうことか。
この経験でそう思ったのだ。
前にドラマでこういうタイトルがあった "人は見た目が100パーセント"
人から見られるということはこういうことなんだと実感した瞬間だった。
自分がありたい姿を表現するためにある、美や着飾る意味
学生までは制服や校則という物陰に隠れて人から身分以外のアイデンティティ、つまり人としての人からの見られ方をあまり気にしたことがなかったなと思う(当たり前って怖いですね笑)。
それと同時に、今まで気にせず生きてこれたことに感謝も感じた。私はありがたい事に両親に綺麗に産んでもらって顔にコンプレックスもない。それに性差についても悩んだことがない。
私はそのありがたみ気づかず当たり前に過ごしてきたが、化粧や着飾ることはそういう何気なさが当たり前じゃない事に気づいた人々が、どうすればより幸せに暮らせるかを考え発展させてきた素晴らしいツールだなと思う。
美とは何か。着飾る意味は何か。
それは自分がありたい姿であるため。そして自分は今この立ち位置にいる。それを目で見えるように分かりやすくするためにあるものなんだ。私は勝手にそう思う事にした。
だからこそ人と違う感性や認識を持ってる人、コンプレックスを持ってる人、自分の容姿に自信がある人。どんな人にも平等に美しくなる権利があるのではないだろうか。