私が感じる“メディアへのもやもや”は「何故かテレビを見るとネガティブな気持ちになる事」だ。

近年多発している震災や災害、罪のない人達が傷つけられ命を奪われる無差別殺人事件、突然の事故。そんなテレビの報道の場面が今でも私の脳裏に浮かぶ。事件の直後は私や息子の命も危ないのではないかと外を歩くのが怖かったり、1日に何度も戸締りを確認する事がある。泣きながら夢で目が覚める時もある。恐ろしい犯人の顔がテレビ画面に映る度に、なんともいえない体の冷えを感じる。地震速報の音は勝手に涙が出てくる。

私は特別、感受性が豊かな訳ではない。だからこそ、私だけじゃなくてこんな症状に悩まされている人が多いのではないかと思う。

命を奪われた人の事を思うと、真剣に見なければと思う

直接の被害者ではないから、“悩み”と言っていいのかも分からない。誰かに相談しても「何それ?」と鼻で笑われて話が終わってしまいそうで怖い。実際、一度だけ家族に話した事があるが、「大丈夫だよ。気にしすぎ。」とだけ返事が返ってきた。だからもう誰にも話さない事に決めていた。

ただ、最近は東日本大震災の津波の映像がテレビで流れる前には「津波の映像が流れます。」とテロップが表示されたり、自ら命を絶った芸能人の速報の後には相談窓口の案内をよく目にする。私はこの報道の仕方を見て、私だけじゃないんだと確信した。近年テレビ側も対策をしてるのは伝わってくる。ショッキングな映像は人によって異なるので、とても難しいと思う。しかし、工夫し対策をして欲しいと思う。

嫌なら見なければいい。そう言われてしまうとそうだが、痛ましい報道程、知っておかなければいけない事だと思う。命を奪われた人の事を思うと、真剣に見なければと思うのだ。

ラジオはポジティブで暖かい

“もやもや”はテレビの他にインターネットニュースやSNSにも感じる。私はラジオが好きでよく聴くが、この“もやもや”を感じたことは無い。これらを見てネガティブな思考になった時はラジオを聴くと、不思議と平常心に戻る事が出来る。それは何故だろうか。私は理由があると思い考えてみた。

それは一方通行のメディアだからではないかと気づいた。

私がこのことに気づいたのは、長男出産1ヶ月後里帰りから家に戻った時だった、なかなか外に出れず息子が寝ている間はテレビやネットニュース、SNSを見続けていた。その時の私はものすごくネガティブだった。ただでさえ、連日の寝不足、慣れない育児、突然外の世界と遮断された毎日。全てを投げ出したい気分になっていた。

実家にいる時はそんなことなかったのに...。そしてふと思い出した。私がいつも居た実家の和室はテレビが無く、昔から好きだったラジオをいつも聴いていた事に。私は急いでラジカセのスイッチを押して、携帯からBluetoothで音を飛ばした。直ぐに心が浄化されていくのを感じた。

ラジオはポジティブで暖かい。顔も見たとこないリスナーさんの悩みやコメントを聴いて、笑ったり時には泣けてきたり。私のコメントにナビゲーターさんが親身に答えてくれる。癒される。

今のメディアに必要なのは、この“暖かみ”なのではないか

“もやもや”しない為に今のメディアに必要なのは、この“暖かみ”なのではないかと思う。淡々と他人事のように伝えられる情報、キラキラした写真での見栄の張り合い、ただただ批判される芸能人たち。とてもネガティブ。疲れてしまう。

“ラジオとかいつの時代?古くない?”。“暗そう。面白いの?”。“誰それ、知らない人~”。私がラジオを好きと伝えるとこんな事を言われる。実際ラジオが好きで聴いてる人に同世代で会ったことがない。騙されたと思って一度聴いてみて欲しい。実は最新音楽が流れてオシャレでかなりイケてる。そして何より暖かみがある。

私が“もやもや”を感じてしまうメディアたちも、ラジオみたいに暖かみがあれば良いのになと思うと同時に、「これはラジオの良さで取られたくないからそのままでも良いかな」という謎の感情だ。

私自身も一方通行で冷たい人間ではなくて、ラジオのような“暖かみ”のある人間でありたいなと思い、今日も私はラジカセのスイッチを押そうと思う。