withコロナ、もう疲れた……。みんな耐えてるからっていう圧力やら、周りの人々を守りたいっていう想いやらを抱えて、我々人類は2020年をなんとか駆け抜けてきました。オンもオフも、息苦しいマスクと、手がカサカサになるアルコール消毒。ちょっとでも体調を崩そうものなら冷静さを欠いて、不安な夜を過ごしました。
こんな1年を締め括る為にも、忘年会でもパーッと開いて、同僚や友だちと健闘を讃え合いたい。でもそれも叶わないんだろうな、ハグすらできないなんて。……うちら、マジで頑張ってるよ。
今年の漢字は「失」。身の回りも世の中も、多くのことが失われた
私が思う今年の漢字は「失」です。失ったものが多すぎて、もう、ちょっとね。思い出すのも辛いくらい。
私の身近な失われた事は、幼稚園に通う息子達の行事。特に年長さんの長男は、ずっと楽しみにしていたお泊まり保育も、例年通りの運動会も叶わず。園が心を尽くして準備してくれた代わりの行事はとても暖かかったけれど、母としての本音を漏らすならば、「かわいそう」という気持ちはゼロにはなりませんでした。
それでも「先生と子ども達の安全を考えると妥当で~」とか「余所の幼稚園よりは~」なんてモゴモゴと口の中に含みながら、この状況を完全には消化できないままでいます。
社会的にも失われた物事は多かった。オリンピックはなくなり、それに関連したキャンペーンも熱を失って間延びしています。そして立て続けに芸能人の方が亡くなりました。コロナウイルスに感染した方、自ら命を絶った方。その悲報は私たちの既に疲弊していた心身をえぐり、多くの人が深い傷を負いました。
「亡くなった方の熱心なファンというわけではない私でもこんなに辛いんだから、ファンの人々や身近で過ごしていた方々は、どれだけお辛い思いでその後も生きているのだろうか」
初めての報道から月日が経っても、そんな考えが消えることはなくって。多くの人が、実は今もそんな葛藤を抱えているのではないでしょうか。「自分は大したことないんだけど」って、思うしかなくて。本当は深く傷を負っているということにも気付けずに。
友人と胸中を吐露し解き放たれる時間。こんな時間さえも奪われていた
先日久々に小中高と同じ学校に通っていた大切な友人と半年ぶりに会う機会がありました。その時会話の途中で、今年亡くなった芸能人の話に。
未だに信じられないという折り合いの付かない気持ちや、過剰に詳細を明らかにしようとする報道への不信感。そして、生きている間に残してくれた仕事への感謝の想い。
私たちがその時に交わしたのは、思い付きの言葉ではなく、ここ数ヵ月ずっと、それぞれが胸の内に抱えていた未消化の言葉。
友人との会話の中で何か納得のいく結論が出ることはないし、この思いはこの先もずっと胸の中に押し込まれて消えないのかもしれない。それでも、私にとって大切な彼女と、この件についてお茶を飲みながら話した時間はとても温かくて。普段無意識のままに自分の心を締め付けて絡まっていたものが、少し解れた気がしました。
世の中で多くの人々がショックを受けたというのは、ネットやテレビを見て感じてはいたけれど、その事について自分の言葉で語り、大切な人の言葉を聞く。そんな時間すらも奪われているという現状に、私はやっとその時気付いたのです。
全ての人に心の平穏と、大切な人たちと話せる日がきますように
最近寒さも増してきて、ますます誰かと会い辛い状況になってきました。毎日職場や学校と家の往復で、年末実家に帰るか悩んでいる方も多いかもしれない。だからこそ、もしも会うことができたり、連絡が取れる大切な人がいるならば、その相手と今年の内に、失った人、物、事について話しておくといいかもしれないな、と私は感じています。
中には自力で消化できる人もいるかもしれない。話したとしても、完全にすっきりすることはないかもしれない。けれど、お互いに心身の状態を診合い、労いあって、すぐそこまで近付いてきている新しい年を、気持ちだけでも寄り添って、迎えることができたなら。
想いを言葉にするのはまだまだ辛いという方も当然いるでしょう。そんな方は、今はまだそのタイミングではないということだと思うので、無理はしないで。来年になってからでも、それ以降でも、いつか大切な人に話せる時が来たらいいな、話せる日がきっと来るだろうと、強く、願う。遠い画面の向こうのこちらから、私はあなたの心の平穏も、祈っています。