私の通っている高校は毎年8割が大学進学、2割が専門学校や短大へ進学する。
就職するのは学年に一人いるかいないかという感じだ。
だから高校卒業後は大学に進学することが普通だと思っていた。

本が好きだし、文学部に行ってそのあと出版社で編集者として働きたいと考えていた。
入学してすぐ、今から勉強すれば○○大に進学できる。
学年順位が上から20位以内なら▲▲大も夢じゃないというように先生は大学の名前を出して生徒に勉強させたがった。
それが先生の仕事だから仕方ないんだけど、大学に行くことが全てという風に感じた。

大学には高校と違って偏差値のランクを表すワードがある。
私大だと早慶上理、GMARCH、日東駒専というようなものだ。
テレビでも高学歴を売りにしたタレントや芸人が活躍する姿をよく見かける。
そのランキング上位の大学に入るのが正しいことだと当時の私は信じていた。

時は進み、進路希望調査が配られた。
それまでぼんやりと文学部志望だった私は大学について調べ始め、一口に文学部といっても英文学、哲学など多数の学科があることを知った。
そこでどんなことを勉強するのか読んでみてもそこまで興味はわかなくて、この先どうしたらいいのかわからなくなった。

それまでぼんやりしていた進路の話は現実味を帯びていき、自分の限界がわかってくる。
小さい頃はプリキュアにもプリンセスにもアイドルにもなれると思っていた。
でも実際の進路はそういう夢物語みたいなものではなくて、妙にリアル。
自分の学力と希望を照らし合わして考えていくものだ。

なりたいものは見つかった。でも当面やってみる仕事がわからない

文学部に行くことに迷いが生じてから、本に関わる仕事はたくさんあるのに、なぜ編集者として働きたいと思ったのか考えた。
その時に出てきたのは「物語を作りたい」ということだった。
昔からお話を考えるのが好きで、今もちまちまと趣味で小説を書いている。

“作家なんてなれるわけない”
“そんな不安定な仕事に就くのは危険だ”
“毎月決まった額のお給料を貰える仕事がいい”
そう思ってきっと心にセーブしてた。
でも自分に正直になってみて私がなりたいのは編集者じゃない、作家だ!ということにやっと気がついた。
さて作家は気長に目指していくとして、私は将来何の仕事をしたいんだろうか。

自分がやりたいことなんてよくわからなくて、代々医者とか実家がケーキ屋とか進路を誰かが決めてくれればいいのにって思った。
友達に聞いてみると、案外しっかり決まっている子が多くて内心焦る。
自分の好きなもの、得意なこと、どんな生活をしたいか。
得意な妄想をしてよく考えて、保育士になろうと決めた。

子どもが好きで、幼い頃に先生や友達と保育園で過ごした日々が楽しかったからだ。
それと今の時代どんな会社に勤めていても潰れたり、リストラされたり何があるかわからない。
その点、資格職ならどこに行っても職に困らないというメリットもある。
調べ始めて短大や専門学校でも資格が取れることを知り、大学進学以外の選択肢があることに驚いた。
どれがいいのかメリット、デメリットを上げて実際に見学してみて、さくっと資格を取って早く社会に出る方が自分には合っていると思った。

みんなは大学に進学するけれど、私は短大に行く

でもみんなが大学に進学するなら、私も大学に行っておいた方がいいのかなぁ。
そう考えている時に宮本延春さんの『オール1の落ちこぼれ、教師になる』という本に出会った。
ざっくり言うと、中卒で働いていた作者がひょんなことから定時制高校に通い、国立大学進学を目指す話だ。

面白いので興味のある方はぜひ読んでみてほしい。
その本を読んで、今まで考えたことがなかったけれど大学って何歳でも入学できるんだ!と当然のことに気づいた。
時間とお金さえあれば高校卒業後でなくてもいいのだ。
無論、短大も専門学校も同様である。
それがわかってやっと、今は大学に行く必要がないと思った。
そして私は短大へ進学することにした。

普通の定義は自分が属する場所によって変わる曖昧なもの

大学にいけば選択肢が広がるけど、それが全てではない。
やりたいことが決まっているなら、最短ルートで行くのもありだ。
先生は軌道修正しやすい大学を薦めるし、生徒はそれが正しいと疑わない。

でも、高校卒業後に大学に行かなくても道はたくさんある。
“とりあえず大学”と言って何も考えずに大学進学を薦める風潮はあるけれど、目的もなく大学に入ったって4年後にやりたいことが見つかる保証はないし、大事な時間とお金を浪費しかねない。
大学に進学するのが普通だと思っていた私はもう、ここにはいない。
普通の定義は自分がどこに属するかによって変わる曖昧なものだ。
そんな固定観念に囚われずに生きたい。