自分はすごい、頭がいい。そんな天狗になった鼻は一瞬にしてへし折られた。
新卒で入った病院での看護師生活は過酷なものだった。
なぜならば、私は学校でのお勉強だけが得意で、臨機応変にテキパキとミスなく対応することがとても苦手だったからだ。「テキパキ」という言葉を聞いただけで虫唾が走る。私はのんびりマイペースに生きていくのが好きだった。
そんな自分の声を押し殺し、毎日死んだような目で病院へ向かう。感情労働とは、泣きたいくらい悲しい心で弾けるような笑顔をつくること。死にたいくらい痛んだ心で天使のような微笑みを絶やさないこと。地獄のような日々だった。
「高学歴なのにこの病院に来たの?もっといいところに行けたのに!」それは、「高学歴なのに仕事ができないね、もっと違うところで働いたら?」という声に聞こえた。
どうやら感情を押し殺し続けているうちに、性格まで捻くれてしまったようだ。そんな自分が嫌いになっていた。
ある日ベッドから出られなくなり、私は普通というレールを降りた
それでも毎日毎日病院へ向かった。なぜならお金がないからだ。奨学金を還すまでは辞めるわけにはいかない。毎朝、お弁当箱に入れるためのリンゴの皮を包丁で剥きながら何のために生きているのか考えていた。
死ぬことは痛くて苦しそうだから生きることを選択していた。
ある日、ベッドの中から出られなくなった。涙が溢れて止まらなかった。「助けて」と言った。
普通というレールは、時には過酷でその人らしさを奪う道でもある。
猛勉強して進学校に入り、いい大学に入り、国家資格をとり、安定した仕事に就いた。普通と言われる生き方は、安全な生き方なのかもしれない。
しかし私にとっては安全どころか、死と隣り合わせの生き方だった。辞表を出すまでずっと、「そんなに勉強頑張って来たのに辞めるなんてもったいない」と周りに言われ続けていた。
しかし辞表を出した。医療とは全く関係のない職種のフリーターになった。退職して正社員でなくなることは、よくあることかもしれないが、レールの上を一歩もはみ出さずに歩いてきた私にとっては人生で初めてレールから逸れ整備されていない大地を踏んだ大冒険だった。
勇気を出して普通を超えたら空が綺麗でご飯が美味しい幸せがあった
それはすごく楽しく幸せな冒険だった。幸せの度合いはお金では測れないという話は本当だった。
押し殺していた心がのびのびと動きはじめ、生きていることを実感した。空が綺麗で風が気持ちよくて、お米が美味しくて家族や友達と笑い合うことが楽しい。
そしていつしか、フリーターになって自分に合った暮らしをする日々が私にとっての普通になった。その普通はとても幸せな普通だと感じる。普通とは、ときに脅威となり、ときに幸せなものとなる。
〈普通〉というものに脅威を感じ苦しんでいる人がもしもいたら、勇気を出して普通を超えてみてほしい。生きてさえいれば人生はなんとでもなるものだ。