始まりは高校時代。最初は1キロ減っただけで十分嬉しかった

私が拒食症になったのは高校受験の時。最初は痩せようとなんて思ってなかった。負けず嫌いで、第一志望校合格のためにストイックに勉強を始めたのが自分のこれからの人生を変えることになるとはこの時は思いもしなかった。

中学からバスケをしていた私は体重なんて気にしたことなかった。いくら食べても食べた分動くから体重が増えることなんて無かった。しかし、引退をきっかけにこのまま同じ量を食べたら太るんだってことに気づいた。友達に太ったんじゃない?って言われて、そんなこと今までの人生で言われたことなくて、寧ろ痩せてるねって言われ続けた私からは衝撃的だった。とても悔しくて、朝ごはんをキウイにするダイエットを始めた。すぐ効果が出て1キロ減った。それだけで十分嬉しかった。

偏差値は上がり、体重は減っていく。気づけば拒食症と診断されていた

そこから本格的に受験勉強が始まり1日15時間くらい勉強した。ご飯を食べる時間すら惜しかった。痩せようと思ったんじゃなくて、勉強時間を増やしたかっただけだった。でもそこから、体重が一気に減った。偏差値はどんどんあがり、体重はどんどん減ってく、その変化する数字を毎日見るのが楽しくなってしまった。

一夏が終わった頃には偏差値は10上がり、体重は10キロ近く減った。元々、痩せ型だった私は155センチで27キロになってしまった。この時の私を振り返るともう手遅れだった。こんなに痩せてもなお、まだ太ってる、まだ痩せたい、自分の脳の中には常に勉強の事と体重、カロリーのこと。

さすがに変だと思った母親に病院に行きなさいと言われた。かつて一度も病院に行った事ない私は戸惑った。私のどこが悪いの?って。学校を休んだ事ない私は絶対に休みたくないと言った。しかし、秋の体重測定での体重を見た保健の先生に強制的に連れて行かれた。そこで医者に言われた一言で自分はやばいんだと初めて気づいた。『血液も栄養も足りてない。次に怪我して出血したら死ぬよ、受験したいなら入院しなさい。』え、何言ってるの?どういう事?私は理解が出来なかった。が、説明を受けたのち、私は拒食症なんだって気づいた。

今思えば自分の体は骨が浮き出てて、座るだけでお尻が痛くて長時間座ってられなかった。これも後から知ったのだが、拒食症の人は自分が食べろって言われるのは嫌いなのに人にたくさん食べさせてしまうらしい。思えば妹や友達にいっぱい食べるよう強要したり、心配した親に対しても、酷い言葉をかけてしまっていた。沢山の人を傷つけた。なんて醜いんだろう、なんて最低なんだろう。今でも反省している。

大学合格を機に過食症が始まり、今もまだ苦しんでいる

そこから私は結局、意地で入院せずに少しずつ体重を戻して無事第一志望に合格した。そこからが私の過食症への始まりだった。合格と同時に何かが吹っ切れたようにたくさん食べた。両親も友達も食べてる私をみて幸せそうだった。私もたまに罪悪感を感じながらも幸せだった。しかし、誰もみてない時にいっぱい詰め込むのが癖になり、人には食べてるところは見せないようになった。でも、部活を開始した事でそんなことができる時間は限られて、何とか体重も維持し、人にもバレなかった。

さらに加速したのは大学生になってからだ。無事大学に合格した私は一人暮らしを始めた。自由に生活できる時間が増え、過食が増えた。でもここでまた転機が訪れた。彼氏が出来たのだ。女子校だった私にとっては久しぶりの彼氏だ。彼氏といる時間が増え、食べる姿を見られるのは恥ずかしく、自然と食べる量が減り、彼氏のためにも綺麗になろうとダイエットをし、8キロ近く減った。これがダメだった。急激に落としたため自分の中のスイッチがついてしまい、1人になる頻度を増やし1ヶ月に5回以上の過食。吐けない私は下剤に頼っている。これが今も続いている。

いつか克服して、普通の生活ができる日が来ると信じて

人から見たら痩せてるから、痩せてるねって、痩せすぎだよって言われるたびに心の中でしんどいって思ってしまう。自分の行動に罪悪感を覚えながら生きている。もう前みたいに家族、友達を傷つけたくない私は誰にも言ってないし、言いたくても言えない。過食したら家は汚くなるし、ドタキャンするし、お金なくなるし、自分が醜くなるし良いことなんてひとつもない。体型なんて人それぞれ、人と比べる必要ないのに、比べてしまう人生。食べることが自分にとって1番幸せで1番苦しい。何に囚われてるのって思って克服したいと思いつつなかなか抜け出せない現実。今もずっと闘っている、弱い自分と。過食して家から出ない1日なんて死にたくなる。

でも、同じ思いしてる人は沢山いる。私はその人達と一緒に頑張って生きていきたい。いつか克服して、普通の生活ができる日が来ると信じて。治そうと焦るんではなくて、自然と治ればいいと思う。人それぞれ生き方はあるはずだから。同じように苦しんでる人は、自分だけじゃないんだよって気づいて欲しい。大丈夫、あなただけじゃないよ。私は今日も自分らしく生きる。自分を好きになれるように頑張る。