進路相談で「もっと良い大学に行けるのに」を聞くのが猛烈に嫌だった。
幼い頃から空想と読書ばかりの子供だった。家の本棚にある小説を片っ端から読み漁り、読むものが無くなると辞書まで読んだ。そして、ついには自ら物語をノートに書き記すようになった。
少し成長してもその性分が変わることは無く、中学や高校の授業中も申し訳程度にノートを取りつつ本を読むか何か他事を書いているかのような、そんな不真面目な生徒であった。
ドラマチックな物語に憧れ、ネットの世界に自作の小説を書き散らし、現実に迫り来るテストや進路の話から逃避を繰り返す。どんな時も、小説を書くのは楽しかった。
そんな私に転機が訪れた。高校二年生のある日、進路相談のため大学のパンフレットを読み漁っていた時のことである。とある芸術大学の学部に目が留まった。文芸創作を専門にした、新設のコースがあったのだ。小説や児童文学から詩や戯曲台本まで、様々な文芸作品の執筆を学べる、というのがウリのコースだった。
惹かれた。楽しそう、と素直に感じた。読むか書くかばかりの人生を送ってきた私のためのような学部だと思った。自分の大好きなことを大学で沢山学べるのならこの上ない幸福だ。
「もっと良い大学に行けるのに」誰にも応援してもらえない辛さ
そうして進路希望調査票に意気揚々とその大学のコース名を書き込み、これでよし、と明るい未来を夢想したのもつかの間。
担任教師から告げられたのは冒頭の無情な言葉だった。
「もっと良い大学に行けるのに」
思うに、その言葉は心配から来ているのだろう。それは大いにわかる。
「ふつうの大学でいいじゃないか」と両親や祖父母に説き伏せられたし、「そんなとこ行って就職どうするの」も幾度となく耳にした。就職の心配をするのも、保護者からしたらふつうだろう。それも、わかる。
しかし、理解するのと受け入れるのは別である。
誰も自分の進路を応援してくれないのが、当時はなかなか辛かった。ちょっと心が折れかけた。
ただ楽しさや憧れを追い求めてはいけないのか。なぜ、興味が薄い良い大学へ行かなければならないのか。
私の背中を押してくれた、世界が変わるくらい衝撃的な言葉
もやもやした気分のまま進級した私を待っていたのは、新しい担任による進路相談だった。
自信の無いへしゃげた字で書かれた希望大学の名前と概要を見て、彼は笑ってこう言った。
「楽しそうですね。僕も行きたいな、ここ」
その言葉が、私の後押しになった。世界が変わるくらいの衝撃だった。固まる私に、先生はこう続ける。
「子どものうちはやりたいことやってなんぼだよ。好きを追いかけて、それが仕事になったら最高じゃん」
先生の言葉を聞いた時の、視界が一気に開けたような思いは今でも忘れられない。
彼が私を「ふつう」の枠に押し込めることなく、手放しに応援してくれたことが本当に嬉しかった。味方がいると思うだけで、親の説得も受験も苦にはならなかったくらいだ。
現在、私は先生のおかげで第一希望であった芸術大学に在籍している。
そして、未だ止まない「就職どうするの」のプレッシャーと戦うべく、こうして文芸コンテストに細々と書いたものを応募している。
もしもふつうを超えられなくても、この選択に後悔はない
「ふつう」を超えられたか、あるいは未来で超えられるのかはわからない。
この先就職して、ふつうの会社員になるのかもしれない。就職できなくて、ふつう以下のレッテルを貼られるかもしれない。あるいは、ふつうを飛び越えて小説家になれたりする可能性だってある。
多分、将来どう転んでもこの大学を選んだことは後悔しないだろう。
だけど、せっかくなら「ふつう」なんか軽々飛び越えて、文字を書くことで名を残して、あの時の先生に笑顔で報告をしたい。その足がかりにこのエッセイがなってくれたら、なんて願いを込めて、この文章を結びたいと思う。