大学の卒業式の翌日に婚姻届を提出した。
「入籍した」とは言わない。義父母なんかはうちにやってきた(都合のいい)嫁くらいに思っていて、本籍地も夫の実家に強制的にされてしまったが、夫の実家の戸籍に入ったわけではない。「入籍」なんて言葉を使う人は、一体いつまで家制度を引きずるのだろうと思う。夫と新しい家庭を築いたのである。そこには夫婦と未婚の子しか入れない。

圧力をまじめに受け、「女性としての幸せ」の刷り込み教育を受けた

3月に結婚して、4月に就職。2年目には子どもを授かった。育休中に2人目をもうけ、トータル3年ほど仕事を休んだ。
もう既に「ふつう」でないと同世代の友人からは言われそうだ。妊娠・出産、育児に家事に仕事の両立、女性にこれでもかと無理強いをするいわゆる「無理ゲー」をこなしているように見えるかもしれない。

実際にこのように「トントン拍子」なのは、私が社会や世間の圧力をまじめに受けたこと、また「女性としての幸せ」の刷り込み教育を受けた賜物でもある。
何が言いたいのかと言うと、無理がたたり体を壊した。
友人たちは、若いママになって働く私を見て、「いいなあ~羨ましい」と言ってくれるが、心底羨ましく思ってはないと思う。私に代わりたいかといえば代わりたくないだろう。

世間が決めた軸に沿って生きてきて、楽しいはずがないのである。
とにかく復帰してからもったのは半年だった。
2人目の子が1歳を過ぎても激しい夜泣きがおさまらず、毎日寝ていない状態で仕事に向かった。時短で同僚と同じくらいの仕事量をこなし手取りは減り、偏頭痛に悩まされても授乳中なので薬に頼ることもままならず、子どもたちが熱を出せば「申し訳ありません」と言って仕事を休んだ。

義父母の存在に病んだ。何でこんなに攻撃してくるのだろう

そして一番厄介なのが、義父母の存在だった。この話を誰かにすると、「でも同居じゃないからいいじゃない」と楽観的な受け答えをされてしまうのだが、結婚してから今に至るまで5年間、色々なことがありすぎて、常に彼らが横にいるんじゃないかと思ってしまうくらいには病んでいた。
そう、病んだのだ。時既に遅し。育休明け半年で病休。
幸いにも職場の理解があり休んだ。

いい嫁キャンペーンは3年で終了したつもりだったが、それでもハタチちょっと過ぎで結婚した若い女が、どんなに理不尽な目に遭っても「結婚とはこんなものなのだ」とか、「私がおかしいのか」と納得してしまうのはたやすい。
夫は田舎の長男(このへんからしてあやしいにおいがするが、ハタチくらいでは気づけまい)で、夫の両親のみに限らず、小姑や夫の祖父母やおじおばに至るまで、日々さまざまな親戚とのやりとりをこなさねばならなかった。

特に義父母に関しては、よかれと思ってやったことが全て裏目に出た。結局彼らの気分次第なのだ。夫も日々親のご機嫌取りをしているように見えた。
あとは私のなすべきこと全てが気に食わないようだった。何でこんなに攻撃してくるのだろう、と思ったが、彼らには、自信がないために、相手をおとしめたり、権力をふるったりすることで自分の優位性を高めようとする特性があることに気がついた。
自己愛性人格障害の症状そのものだった。イコールではないが、モラハラといえば理解しやすいかもしれない。
義父母ともに生い立ちに難があるようなものの、それが嫁をいじめてよい理由にはならない。

もう、我慢するのはやめようと思った。カウンセラーや医者や職場の上司、友人に保育園の先生までもまきこんで、私は弱音を吐いた。夫や実母以外では、初めてかもしれない。
ある時子どものことを出され、私の堪忍袋の緒がプツリと切れて、義父母にも直接言ったことがあった。何を言ったのかは思い出したくもないが、要するに子離れしろということを伝えた。本来は息子である夫自身が反抗期の際にこなさなければならなかった作業を、今、私がやったのだ。    
当然憤慨されたし、かなりの修羅場だった。夫からは「夫の親に対してあの態度は……」云々言われたが、しばらくすると「ありがとう」と言われた。どうやら夫は親に対して、言いたいことを言ってもいいんだと学んだらしい。
私が親子間に風穴を開けてやったのだ。もうこんな役回りはしたくない。

我慢を美徳にしないで。「快」でないことには、立ち止まって考えて

女が強くて何が悪い。気の弱い女なんかいないぞ。
どうか女性たちには、美しく開き直ってほしい。我慢を美徳とせず、少しでも「快」でないことが起きたら、立ち止まって考えてほしい。
また、こう思ったことはないだろうか。「私は女子だから数学が苦手」と。
性別を意識した途端に、本当に数学の成績が下がってしまうという実験結果がある。脳科学者の中野信子氏が著書『人は、なぜ他人を許せないのか?』で「ステレオタイプ脅威」について触れている。

私自身も祖母の「女の子の頭がよすぎても男がよりつかない」という言葉に引きずられて、挑戦することなく模試でA判定の大学を選んだ。
あなたの中の社会通念が、自分の可能性を狭めてしまっていることに、もっともっと気づいてほしい。
同じ学歴で同じように働いて、「幸運にも」男性と同じような額のお金をもらったとしても、ひとたび家庭の中に入れば、女であることをこれでもかと自覚させられる。そこに男女平等や女性の社会進出なんて感覚は存在しない。無理ゲーだから。

結婚という選択をしなかったとしても、適齢期なんて言葉で巧みに社会は私たちを惑わせてくる。皆違って皆いいが通用しない。
何をどうするにも八方ふさがりである。結局まだまだ昭和から抜け出せない男性原理の社会なので、女性たちは思考錯誤しながら、時に牙をむきつつ、型にはまらず、自分の道を探すほかないのである。

折しもコロナ禍にあり、不謹慎ではあるが、盆暮れ正月に夫の実家に顔を出さなくて済む理由になり得る。そう考える人々も少なくないだろう。コロナは、今まで当然とされてきた、あらゆる因習に一石を投じてくれる。
一人ひとりの気持ちが尊重される社会になることを祈りつつ、私は今、自分の道を開拓するばかりである。