幼稚園の頃から、自分の顔が嫌いだった。一重瞼に色黒で、笑うとムキッと膨れ上がるほっぺ。さらに私は勉強もできなかった。算数は小数点の筆算から止まっているし、漢字テストはいつも不合格なのになぜか再試を受けなかった。
そのせいで出来の良い姉兄と比較され、保護者面談から帰った母はいつも「上の子たちは褒められてばっかりだったのに…」と疲れた顔をしていた。

そんな私は今、スイスで大学院生としてオーボエという管楽器の勉強をしている。スイスでは授業も生活も全てドイツ語で、しかも8歳年上の碧い目をした高身長のイケメンオーボエ奏者に師事している。先生は世界屈指の有名オーケストラに所属しており、20代の前半には有名な4つの国際コンクール全てで最高位を獲った、まさに「天才」である。

私は勉強は出来なかったけれど、音楽にだけは少し才能があったらしい。ピアノに歌、そして管楽器、音楽でならなぜかいつも褒めてもらえた。音楽は私に自信を与え、そして夢中にさせてくれた。どんなに強く挫折しても音楽だけは諦めなかった。音楽を続ける為なら勉強だってできた。音楽とだったら夢を見ることができた。

先生は弟子の私をプロの芸術家に育てようとしてくれた

先生と出会ったのは、24歳の夏。大学を卒業し、留学準備を始めて最初に参加したスイスの講習会でだった。留学の夢を叶えるべく全力で準備をして挑むと、その甲斐があってか「君の音楽が、僕はとっても好きだよ」と言ってもらえた。
そして先生の印象もとても良かった。教え方は丁寧で辛抱強く、理知的な解釈と癖のない音楽性で、そしてなにより信じられないくらい格好良かった。もうこの期間はずっとメロメロだった。

最後のレッスンでは、「良かったら僕のクラスで勉強しないかい?」と声をかけてくれた。あの時の嬉しい気持ちはきっと一生忘れられないだろう。そしてその直近の入学試験で無事合格し、私は彼の弟子になった。

弟子になってからは、先生は物凄く厳しくなった。夢だった留学を叶えてなんとなくふわふわしていた私に、「プロフェッショナルな演奏をしなさい」「芸術家として表現をしなさい」と、全力でプロの芸術家に育てようとしてくれていた。

先生のおかげで無意識に私の成長を堰き止めていたものが外れていった

ある日のレッスンで、音楽家として生きることについて語ってくれたことがあった。

『演奏家はほとんどの時間を練習に捧げ、自分の音を聞き、出来ないことや欠点に気づいて補い修正し、自分の力で成長し続けなければならない。常に自分の音楽に集中し、探究心を持ち続け、自分と闘わなければならない』

先生は持って生まれた才能に甘えることなく、自律の精神を持って音楽家として地道に努力を続けていた。そして私にも出来ると期待してくれた。そのとき希望が見えた気がした。

すると無意識に私の成長を堰き止めていたものが外れていった。それからは教わった練習方法は全て試し、指摘された注意点は全て忠実に守り、2度と同じことを言わせないようにした。
効果は絶大だった。入学してからちょうど一年が経つ頃、「君は本当に練習したね。君の成長に、僕は非常に満足してるよ」と言ってもらえたのだった。

意識的に練習ができるようになると、言葉がなくても分かり合えることが多くなった。
例えば前回から何を気をつけて練習してきたか、何が問題で困っているのか、今後どんなふうに成長していきたいと思っているのか、先生は私の演奏を聴いただけで全て把握してくれていた。理解してもらえるということが、こんなにも心地良いとは思わなかった。

帰国してもきっと音楽が先生と私をいつまでも繋げてくれる

師弟関係とは不思議なものだ。出来の悪い子どもだった私が、天才で美しい先生に弟子として気にかけてもらえるなんて幸せだなと思う。
しかも先生のような人は知れば知るほど魅力的で、今やすっかりファンになってしまった。ときどき誰かに「僕の生徒だよ」と私を紹介してもらうときは、本当に嬉しい気持ちになる。

私がもし音楽の才能に気づいていなければ、きっと先生と出会うことはなかっただろう。この先卒業して日本に帰ったとしても、先生とはきっといつまでも音楽が繋げてくれるはずだ。

いずれ私が教える立場になれば、生徒に先生を紹介する機会があるかもしれない。
そのときは出会った頃撮った写真を見せて「今もかっこいいけど、昔はこんなだったんだよ」と言うのが、今の私の夢だ。