東の研修医が死んだ。

自殺だったそうだ。このニュースは、当時医学生だった自分に衝撃を与えた。
亡くなった研修医は女性で、過労を苦に死を選んだと報道されていた。彼女が医師免許を得て2年未満。この短い期間に対して、医学部を卒業するまでに要した時間は最短でも6年。もし留年や浪人をしているならもっと年数はかさんでくる。その時間が凝縮された努力の結晶である医師免許に、たったの2年未満で彼女は殺されてしまったのだ。
そして2020年、私は彼女が進んだものと全く同じルートを行く途中だった。

医学部を卒業して医師国家試験に合格した後、ほとんどの卒業生は病院で研修医として研鑽を積む。この研修期間は2年。その後、志望の科を選択し、より専門性を身につけるために各々の病院の医局に入る。2021年は、私が医師免許を取得してから2年目に入る年だ。
そして同時に、件の東の研修医が迎えられなかった年でもある。

私といえば、2021年が間もなく始まろうとしているこの時期でも志望科を決めかねていた。医学部時代の講義ではどれも楽しかったが、仕事を始めてからはどの科も向いていないような気がしていた。

仕事量の増加に反比例するように、医師として働ける喜びが減った

全力を尽くしても亡くなってしまう患者、思うように病状が回復しない患者、何が功を奏したかわからないがとにかく良くなった患者、様々いた。患者の個人差と言えばそれまでなのかもしれないが、この手で確かに患者の命に貢献できた、という確証を医師になって1年経っても得られずにいた。
仕事量の増加に反比例するように、医師として働ける喜びが減っていってしまっていた。
夜間、職員寮まで届く救急車の音から逃れたくて、布団を頭から被りイヤホンをしながら眠っていた。

「先生のおかげです」患者さんは深く丁寧に頭を下げた

長い夜を彷徨っていた頃、担当患者さんのうちの1人が退院した。その朝、私はその患者さんの病室にいた。

「どうもお世話になりました」
80代の女性患者さんは、昨日までの茶色いチェックの病院着を脱ぎ去り、赤いカーディガンを羽織り口紅を付け、見違えるように溌剌としていた。つい数週間前までは心臓の機能が落ちて体中に水が溜まり、仰向けで寝ることさえできなかったとは思えなかった。
私が治したというより、薬が治してくれたと言う方が正しいよな、と考えながら曖昧な笑みを浮かべていると、その女性はこう続けた。
「先生のおかげです。本当にありがとうございました」
そして深く丁寧に頭を下げた。

「どうか頭をあげてください」私は慌てて言った。「では、外は寒いですから、どうぞお気をつけてお帰りください」私は後ろ手に病室のドアに手をかけた。
小柄な患者さんの美しいグレーの髪を見ながら部屋の外に出る。女性の言葉を反芻した。
何度も、何度も。私の中の夜が明けていく気配がした。差し込む太陽の光は眩しすぎて、目を開けていると涙が流れ落ちてしまいそうだった。

病院の廊下を歩く。朝の病院は慌ただしく、検査に向かう患者や回診をする医者で混雑していた。彼らの間をすり抜けて歩く。私は死んだ東の研修医のことをまた考えていた。
彼女に忍び寄った死は、いつかまた私にも寄って来るのだろうか。2021年、私は医師免許に殺されない。生きて、患者さんと一緒に歩んでいこう。
未熟な私を「先生」と呼んでくれる人達に応えるために。