わたしには絶対に叶えたい夢がある。
それは「文章を生業にする」ことだ。

物心ついた時には書いていた。
自分だけの秘密の日記に始まり、毎日交わした色んな友人との交換日記。
そして小説を書いた。
大好きな作家の模写から、自分の溢れ出すような思いや友人との他愛無い会話から作り出した物語、旅に出た時の情景、漫画も書いた。それは毎日飽きることなく続いた。

文章の分量が、自分の感情と比例していることに気がついた

やがてその文章の分量が、自分の感情と比例していることに気がついた。ツライ気持ちが続く時ほど筆がのるのだ。
成長して特に人間関係はうまくいかなかった。ツラかった。すべてを紙にぶつけた。

そうしていつしか、大人になった。
就活時期を迎える頃ぼんやりと、どうせ働くなら文章に関わる仕事に就きたい…と思った。それは本当にぼんやりとした考えだったから、当たり前に広告関係や新聞社、手帳を作る会社なんかを受けたものの、全て最終試験まで行くことなく終わった。
何とか最後の最後で駆け込みで受けた、埠頭に立つ小さな会社で事務員として採用され、わたしは就活を終えた。
何かしら文章に関わる仕事に就けると思っていたからプライドは死んでいたし、未来は真っ暗だと思ったけれど、
「会社で誰かと文章について何かを作り出すことがしたかったのか?
1人で書けさえすればいいんじゃなかったのか?」
そんな自分の本心に改めて気づいた。そしてまたそれを書いた。

ぎりぎりの精神を繋ぎ止めていてくれたのは、“書くこと”だった

社会人になった。なあなあで就いた仕事はキツかった。お局が2人いた。他に女子社員がいなかった。同期の彼氏と遠距離恋愛を始めた。会えない不安が高まりすぎてメンヘラになった。

おまけに自宅から会社までは片道1.5時間もかかった。
毎日通勤電車の中、携帯のメモ機能に昏い感情を打ちつけた。
朝早くと夜遅く、ひとがまばらな埠頭行きの地下鉄、真っ暗な窓ガラスに映る自分の顔は能面だったと思う。
ただこの時間だけが自分の頭の中を整理できる時間で、それがなかったらとっくに破綻していた。
それでも大雨の日、どうせ休みになるだろと会社に連絡しないで勝手に休むくらいには追い詰められていた。
ぎりぎりのわたしの精神をヒトの形に繋ぎ止めていてくれたのは、確かに“書くこと”だった。

“頭を整理するための行為”がわたしの生活から消えていた

それから時が経ち、お局の1人が会社を辞めた。全国に散らばる社員の誰1人、そんなこと起きるはずもないと思っていたので会社が揺れた。仕事を覚えて独り立ちしたら、もう1人のお局が優しくなった。後輩もできた。彼氏と安定した。結婚の話が出た。全てを捨てて大阪に嫁ぐことになった。
その頃にはあれだけしつこく続けていた“頭を整理するための行為”が、いつのまにかわたしの生活から消えていた。
人生が安定した、というのが理由の1つだった気がする。それまでの人生で自分を苦しめていた要因を一旦全て捨ててきたことで、一時的に感情が安定した。

酒はすごい。ツライことも未来への不安も全て忘れさせてくれる

もう1つが単純に、酒だった。
元から酒好きだったのが同じく酒好きの旦那と2人暮らし、実家を出てストッパーがなくなったことで毎日好きなだけのめた。
酒はすごい。ツライことも未来への不安も急に脳裏に蘇る恥ずかしくて身を捩る思い出も全て忘れさせてくれる。
能面の顔で文字を綴らずとも好きな人と楽しく過ごしているだけで紛れる。

しかしその分、次の日起きた時自分の体の中に空白がどんどんできた。
それは毎日増えた。夜にそのぶんまた飲んだ。次の日焦りは増えるのに、その感覚すらも“書かない”ことで全てぼんやりと忘れた。そんな日々が3年過ぎた。
過ぎ過ぎだろ。

やっとわたしは気づいた。酒を飲んでいる場合じゃない

2020年春。コロナ。
地元に帰れなくなった夏、地元の友人たちが続々とオンライン妊娠報告をしてきた。
わたしがいない福岡にちいさな人類が増えていく。
わたしと同じようにダメ人間だったはずの可愛い友人達が次々母親になる。

「居場所」を見つけたような満面の笑みと、聞いてもいないのに経過や「オヤ論」を語るのを画面越しに流しながら、やっとわたしは気づいた。
酒を飲んでいる場合じゃない。

「子を待つ人たちがそれにアイデンティティを見出すように、わたしは文章を綴ることに価値を見出している」
「これを形にしたい。書きたい。できたらわたしの価値を見てほしい。知ってほしい」

わたしはまたペンとノートに向かえるようになった。
書きたいことはたくさんあった。
酒で紛らわしても、それは消えてはなかった。まだそこにあって、わたしを待ってくれていた。
だらだらと逃げて休んでいたけれど、そこはまだ確かにわたしの居場所だった。
そうして、目標ができた。

わたしは絶対に2021年3月締め切りの文芸賞に応募する。
書くことから一度逃げたし、今まで自分の外に、自分の文章を出したことなんてなかった。
それが始まりでもただの通過儀礼でも、たった1つのわたしの大きな第一歩だから。
わたしは今日も文字を繋ぎ続ける。