私は今とてつもない怒りと喪失感の中にいる。
私の選択は合っていたのだろうか。
なんで看護師を医者と結婚するためとしか考えてくれないんだろう
今年の4月、私は看護学部のある大学に入学した。
妹の病気と障害に家族と向き合ってくれた、患者の姉としての私にも気を配ってくれた看護師さんの存在がきっかけで、医療従事者という職業に憧れを抱いた。
無事入学も決まり友人と会う機会があった。
新しく始まる大学生活について期待は膨らみ、お互いにどんなサークルに入りたいか、彼氏はできるだろうかと話に花が咲いた。
その時友人が「看護師ってこわーい。医者と付き合うためになってる人もいるでしょ。にんじんも玉の輿~」と。
別の友人も「早く医学部の彼氏捕まえな~」
親戚からも「玉の輿じゃない」
書いている今も涙が出てくる。どうして、どうして分かってもらえないんだろう。みんな病院を訪れたらお世話になるのに、なんで看護師を医者と結婚するためのステップとしか考えてくれないんだろう。
心ない言葉をかけられても私は怒りを示さなかった。これからの関係を考えてヘラヘラと笑ってしまった。それが余計に悔しい。
他人に認めてもらえず、自分でもどこかで医者より勉強ができない、劣等感から看護師という職につきたい私自身の誇りを守りきれなかった。
今までの恩返しがしたい。なのに分かってもらえない。悔しい
本当に看護師でよかったのか。どうしてもこの言葉が付き纏う。私は今までの恩返しがしたい。患者さんにも、私のような患者さんの家族という忘れられがちな人にも、少しでも力になりたい。非力でも。看護師になりたい。なのに分かってもらえない。悔しい。悔しい。
外野の声を気にしなければいい話だと思った。自分がなりたいと望んだのだから無視しようとも思った。でも私の決意以上にかけられた言葉が頭の中で反芻されて、時々どうしようもなく胸が苦しくなる。
きっと言った当人達は覚えてもいないだろう、私を傷つけようと発したものでもないだろう。でも私は覚えてる。
少しでも言葉の軽やかさと鋭さに気付いて欲しい
忘れられない言葉の出来事として思い出した記憶がもう一つある。
私の妹には障害があると先述したが、中学時代の部活内で"ガイジ"という言葉が流行った。わざと奇声をあげたりおかしな行動をして"ガイジ"だと。
冷や汗が出て泣きたくなった。私の妹が障害と知ったら?何て言われるんだろう、むしろ罪悪感と申し訳なさで腫れ物扱い?何も言えなかった。
この文を読んで少しでも言葉の軽やかさと鋭さに気付いて欲しい。
リズムを取る言葉は軽やかで無意識で人を傷つける。
書き出して少し自分の心の整理がついた。一言言いたい。
私は自分の事で精一杯で生きる。でもお前らも言葉には気を付けろ。以上。