ゆとり世代の私からしても”ありえない行動”だと思った

私は1994年生まれ、26歳。
94年生世代は、ゆとり世代のど真ん中と言われている。
たしかに、小学校に入ってすぐに土曜登校はなくなり、そのまま義務教育を終えた。他の世代と比べると、登校日数は少ないのだと思う。

数年前まで、『ゆとり世代のありえない行動』が度々話題になることがあった。たとえば、頼まれた仕事しかしないとか、自主的に行動しないとか、上司にお酒を注がないとか。

でも一緒くたにしないでほしいと思っていた。
ゆとり世代の私からしても”ありえない行動”だと思ったから。

これだけ自覚があるんだから、きっと”ふつう”のゆとり世代とは違う社会人になれる。私なら大丈夫。そう思って、入社式を迎えた。

新卒で就職したのは大学病院の外科病棟だった

新卒で就職したのは大学病院だった。しかも外科病棟。めちゃめちゃ忙しい部署だった。
どのくらい忙しいかというと、朝礼が終わってから昼休みまで一度も座れないのは割と普通。昼休みも45分とれればいい方。定時になってからカルテに記録を残す日々。日勤で一番ひどかったときは、家についたら22時半だったこともある。日勤で定時で帰れないのに、更に夜勤もある。

こんなに忙しい部署ではあるが、大学病院は教育機関なので、新人の指導は手厚い。毎月、達成目標がきちんと設定されていて、1年間指導者としてなんでも相談できる先輩がついてくれて、他の先輩もフォローについてくれて、看護師長もよく面談をしてくれた。

同期はどんどんできることを増やしていった。私は、「もう少し勉強しようか」「今度またその手技チェックしてもいい?」と言われ、足踏みするばかり。

師長さんに呼ばれた「基礎基本から頑張ってもらおうと思っているの」

あの冬、仕事終わりに師長さんに呼ばれた。
「あのね、すごくがんばっているのはわかるんだけど、来年度から一度夜勤を外れて、基礎基本から頑張ってもらおうと思っているの」

それは意訳すると、あなたは1年目の目標すら達成できてないから、この先現場に出すのは不安だよ、と言われたようなものだった。

指導者さんもあんなにアドバイスしてくれたのに。
先輩もいっぱいフォローしてくれたのに。
同期は順調にできることが増えているのに。

私は、”ふつうの看護師”になれなかった。

それどころか、ゆとり世代の”ふつう”にすらなれなかったのだ。

そのあともつらかった。「この子は”ふつうの看護師”じゃないから…」と先輩全員からそう見られている気がした。常に忙しいのに、育たない後輩に時間を割いていられない。今思えば私の勝手な被害妄想。だけど、先輩全員そう思ってるんだ、と当時の私は怯えていた。
その恐怖は、先輩とのコミュニケーションに壁を作っていく。報連相もまともにできなくなっていった。

そして3年目の3月、私は大学病院を退職した。

1年目で躓いた段差を、越えられなかった。
”ふつうの看護師”になれなかった私を、越えられなかったのだ。

あの外科病棟で”ふつう”を越えられなかった理由がわかった

退職してからもうすぐ1年が経つ。
今は保育園で看護師としてパート勤務をして、あの頃よりはゆっくり過ごしている。

ゆっくりとした時間を過ごしたことで、あのとき”ふつう”を越えられなかった理由がわかってきたのだ。

私はどうやら、ADHD(注意欠如・多動症)の傾向とHSP(とても繊細な気質)の傾向が強かったらしい。

元々私は”ふつう”でもなかったのだ。

物忘れしやすいし、注意散漫だし、他人の機嫌に影響されるし、自分の体調の変化にも敏感だし、元々私はあの職場では生きづらい人間だったのだ。自分の気質にあっていなかったのだ。

そう思うと、”ふつうの看護師”になれなかった自分に納得がいったし、なーんだ、って思えた。”ふつうの看護師”とは、戦うフィールドが違っただけ。

“ふつう”にしばられない、私にしかできない看護師になる

これからは”ふつう”を定義づけるのをやめようと思う。
”ふつう”って、法で決められているわけじゃない。
それぞれの価値観のすり合わせである。

”ふつうの看護師”になれなくて傷ついた私を、もう少し慰めてあげたら、”ふつう”にしばられない人生を歩みたい。私にしかできない看護師をしていきたい。

大雪の夜に、静かに決意するのだった。