2020年12月25日。私は今、スイスにいる。窓の外は朝からずっと雪がふり続けていて、とても綺麗だ。2019年の9月から始まった私の留学生活も、もうすぐ折り返し地点にさしかかろうとしている。2020年は色んなことがあった。外国にいるせいでコロナの影響にかなり左右されてきたけれど、遊ぶことも、バイトも、旅もできないような世の中で、私はただひたすらに音楽と自分自身と向き合う、濃い時間を過ごすことができた。

風のように打ち付ける音に14歳の私は感動し、涙が止まらなかった

私はオーボエという管楽器の勉強をしているのだが、先生に習い始めたのが14歳。縁あって素晴らしいプロのオーボエ奏者に教えてもらえることになった。その直後に初めて、先生の所属するプロのオーケストラの定期公演というのを聴きに行った。凄かった。全身に鳥肌が立った。その時の感動は、未だに思い出すことができる。何十人もいるプロの音楽家達が一つになって、全身全霊で音楽を作り上げる。音は風のように私の全身を打ち付け、そして会場の隅々まで響き渡っていた。感動で心臓がキュッと締め付けられ、涙が止まらなかった。

それから12年。私はずっと音楽に青春を捧げてきた。私にとって「楽器を吹けること」が幸せで、「音楽を学べること」が喜びだった。けれど最近のある日、今習っている先生にこんな質問をされた。「君は、何のために音楽家になろうと思ってるの?」と。ハッとした。私はどこか、楽器を吹いていることに満足してしまっていて、「少し先の音楽家としての自分」を見出せていなかったのだ。私はこの先、どうなりたいんだろう。

初めてオーケストラを聴いた14歳の私は、それからたくさんの音楽を聴いた。音楽についてもたくさん学び、たくさんの技術を身につけてきた。何度か感動的な演奏会にも出合ったけれど、どんどん少なくなってきた。きっと私の音楽の聴き方も変化し、聴きながら分析するようになってしまったからだ。私はもうただ単純に音楽を聴けなくなってしまい、久しく演奏会で泣いていない。

先生の演奏会であの頃の私が久々に目を覚まし、音楽の中に身を委ねる

しかし今年の3月に、私は久しぶりに良い演奏会に出合った。それは私の今の先生が、彼の所属するオーケストラでソリストとして協演する演奏会だった。オーケストラでソリストをすることは、大変なことだ。ソリストは舞台の真ん中に立ち、オーケストラはソリストを尊敬しソリストのためだけに音楽を作り上げていく。先生には日頃から「音楽との向き合い方」や「音楽家として生きていく覚悟」を聞いていたから、舞台の真ん中にやってきた先生の背負うものを想って、グッときてしまった。

世界中から集められたオーケストラの名プレーヤー達が、彼だけのために彼に寄り添って演奏していた。愛に溢れた、優しい空間がそこにはあった。すると私の意識の底で長い間眠っていた「14歳の私」が、久しぶりに目を覚ました。美しいコンサートホールの中で、14歳の私は単純に音楽の中に身を委ねて、その音楽に心を震わせていた。久しぶりに、泣いてしまった。

オーボエに出会って12年間、全て音楽に捧げてきてしまったけれど、こんな素晴らしい体験をできるなんて、音楽を続けてきて良かったと思った。こんなに心惹かれるものに出合えた私は、幸せ者だ。

音楽家として一歩進むため、14歳の私に感動を与えられる演奏をしたい

私は今後、こんな素敵な演奏会に何度出合えるだろうか。そしていつか私も、こんな風に人に感動を与えられる演奏を出来るだろうか。私はきっとまだ、「14歳の私」を感動させられない。もし「14歳の私」が「今の私」の演奏を聴いたら感動するどころか、ガッカリして帰ることになるだろう。

まだ私はどこか、自分の演奏に甘いところがあるし、それに気付いているということは「14歳の私」に対して後ろめたく思っている自分もいるということだ。幸いにもあと約一年、スイスで学べる時間が残されている。だから私は2021年で、まずは「14歳の私」を感動させられるような音楽家になりたいと思う。誰よりも厳しい「14歳の私」を感動させられたとき、私もきっと自分の演奏に納得して、楽しむことができるだろう。それが出来たとき、私は音楽家としてまた一歩前に進めるはず。そしていつかは先生達のように、たくさんの人に感動を与えられる音楽家になっていきたい。