思春期。それは、他人にプラスでもマイナスでも感情を抱き、自分との間に関係を作ろうとしたり、集団で個人の多数と違う部分や、流行りと同じではないことへの謎の押し付けを要求したりする人もいれば、俗に言う一匹狼になったりする時もある、複雑な人間の成長段階のひとつ。
そんな多感な時期に、私はある人への憧れをもって、身体の一部に視線を向けた。それが今でも、私の身体の一部に名残を残している。
美しい絵を描く同級生に憧れ、隣で見ていることが楽しかった
小学生まで、私は絵が1番得意なことだった。周りも褒めてくれるし、自分の描いた絵をクラスの友達が楽しみにして喜んでくれることが嬉しかった。
何より自分が1番楽しくて好きな行為だから、「自分は絵が上手い、得意だ!」と信じて疑わなかった。
しかし、中学生になり美術部に入ると、違うクラスの、ある同級生の絵が驚くほど上手くて美しくて、自分は特別絵が上手いわけでもないのかとショックを受けた。
が、同時にその子の絵のファンになり、憧れを持った。
彼女とは中学三年間、一度も同じクラスになれなくて、部活で顔を合わせるくらいだったので、今はどうしているか分からない。また会いたいと思う。
話を戻すと、中学生の私は、彼女がどうしてこんなに絵が上手いのか知りたくて、絵を描くところを隣で見て憧れることがとても楽しかった。
ある放課後の部活の時間に、みんなで机を並べて絵を描いていた時のこと。
観察して気がついた、彼女の絵を描く時の癖について「どうして描く時に小指が曲がって出ているの?」と聞いてみた。
彼女の答えは「気がついたらこうなってるんだよね。この方が描きやすいからかなぁ」
そう言って、ほら、と手を見せてくれた。
確かに絵や字を描く時に、色が手について擦れることは気にしていたし、小指で線の平行や安定を調整しているもんなぁと自分の描く時を思い出して妙に納得した。
小指の仕草に想いを込めた、私なりの美学
その時からだ。私は今までよりも、その小指の佇まいを意識して、自分が描く時もそうしてみた。自己暗示のような、おまじないや魔法のような。ちょっとした仕草に美学を感じて。
私ももっと上手くなりたい! 素敵な絵が描きたい。
そんな思いが、小指に宿り、あれから10年以上経った今、手を広げた時の私の小指は、少しくの字に曲がっている。
憧れの詰まった小指のその姿は、自信のない自分へのやるせなさや、もっと素敵に活躍する作家たちへの悔しさも抱えながら、もっと伸びたいという想いをバネに、陽の目を見る時を待ちわびているのだ。