1月、最高気温18℃の春の陽気の日があった。夫と私はテレビの天気予報を見ながら、朝ご飯を頬張っていた。「今日は南風が吹くため、気温がグンと上がるでしょう」。天気予報士がそう言うと、夫が「今日は赤道の風が吹くんだね」と笑った。

結婚生活とは、なんとも不思議で。夫婦の化学反応が私の琴線に触れ、感性がパッと小さく、開いては閉じ、開いては閉じを繰り返していくようだ。その一つひとつを、私は丁寧に拾い集めたいと強く願いながら生きている。

去年の夏、夫が無職になった。残業による疲労と、人間関係の悪化により、たびたび休職する夫に「環境を変えたら?」と提案したからだ。夫は、いろいろと抱え込んでしまう。
私は「誰しも輝ける場所が必ずある」という信念のもとで生きており、自分にも夫にも環境を変えることにあまり抵抗がない。私も、3回転職した。なんなら、高校時代に人間関係こじらせてテニス部を辞めたし、夢のために大好きな彼氏と泣く泣く別れたし、ヤケになってカンボジア移住まで考えた人間だ。
コロコロと変わる自分が嫌で、悩み続けていたが、ホロスコープを読んでもらったら星が全部のハウスに入っていて“コロコロ変わる星のもとに生まれた自分”に降参した。そこから私の「自分しか見ない生き方」が少しずつ始まっていった。

自分の人生しか見ないというのは、結果よりも過程を重視する生き方のこと

自分も含め、みんな他人の人生ばかり見ていると思った。良さそうなものに目が眩んで、感性を鈍らせている。
環境を変えることに躊躇はないが、結局は自分を変えないと同じことが必ず起こる。自分の人生を改めて振り返り、直視することをおすすめする。
繰り返している過ちを責めるのではなく、降参しよう。全てを糧にして、他人と折り合っていこう。そうすることで、人生は開ける。結果を急ぐことはない。

結果を急いでくるのは、いつも他人だ。上司は売り上げを、パートナーは結婚時期を、親は偏差値の上がり下がりを急いで来る。それを自分の中に入れてはいけない。
結果につながる過程の中にこそ人生があるのだ。つまり自分の人生しか見ないというのは、結果よりも過程を重視する生き方のことである。

夫の新しいスタートを応援しつつ、私は私の毎日を見る

私は、日常生活のどんな小さな感動も見逃したくないと、1人LINEグループを作って更新している。「化粧品の減りは、お肌の喜び」「商店街に流れるJ-POPが電子音なのは、物を安く見せるため」「今の幸せが過去の傷を癒す」などたくさんの言葉が並んでいる。

夫は、半年後、希望の会社と両想いになった。新しいスタートを応援しつつ、私は私の毎日を見ている。