「おかえり。よく帰ってきてくれたね。お疲れ様。」
年末に実家に帰ってきたとき、母親は私を温かく迎え入れてくれた。今年は、コロナもあって、久しぶりの帰省だった。家に着いた瞬間、懐かしさとやっと帰ってこれた、という安堵感で胸がいっぱいになった。

中学生頃から母に対し、違和感や恥ずかしさを感じるようになった

私は、大学から上京して一人暮らしを始めた。
それまで、自分で3食作ったことはほとんどなかったし、洗濯や掃除も休日に手伝う程度で、毎日家事をすることは初めてだった。こんなにも生きるのって大変なんだ。一人暮らしを始めて初めの半年は、ずっと感じていた。これを家族全員分毎日年中無休でやっている母親は、本当に偉大だなと改めて感じた。

母親は、完璧な主婦だった。
父親が起きる前に朝ごはんを作り、家族を送り出してから、掃除に洗濯、夜ご飯の買い出し。ご飯は、毎晩バランスの良い食事を毎日作り、洗濯が終わった洋服はシワひとつなく綺麗に畳まれて部屋の前に置かれている。

だが、そんな母親に対して、中学生頃から違和感を感じるようになった。周りの友人の親は共働きが多く、平日に親が家にいることが多くないことを知った。友達の家にゲームをしに行った時に、母親が家にいることはほとんどないのに対し、私の家に友達が遊びにきた時は、お母さんがいつもお茶を用意して待ってくれていた。私は、そんなことをしてほしくない、と思った。なぜかわからないけど、恥ずかしささえ感じていた。

いつの間にか母親を、「一人の女性」として見てしまっていた

これは、最近になって気づいたのだが、私は、いつの間にか母親を「母」としてではなく、「一人の女性」として見てしまっていたのだと思う。確かに母親は「主婦」という職業だけで見れば100点満点だ。いや100点以上だ。だが、母親は社会を知らない。知らない、という言い方は語弊があるかもしれないけれど、入社してすぐに出会いがあり、結婚を機に会社を退社している。そして、それから社会に出ていない。ちなみにこれを「円満退社」と呼ぶらしい。おめでたいことなのだろうが、今の時代そんなことが通用するのだろうか。よっぽどの玉の輿に乗らない限り、シンデレラストーリーのように感じる。

私は、今大学2年生だ。もう少ししたら、就職について考え始めなければならない。将来はお仕事をして、お金を稼いで自立した人間になりたい。自分の時間を作って、自分で稼いだお金は自分の好きなように使いたい。仕事をしながらもいつかは結婚したい。母親と父親の背中を見て毎日が楽しそうだから。でも、ずっと金銭的に相手に頼るような生活はしたくない。

本当に尊敬している。でも、お母さんみたいな女性にはなりたくない

それに対して、母親は私に、結婚をして、旦那さんを支えて、子供を産んで、大切に育てて、家族のために自分があるべきと考えている。私にもそうして欲しいと願っている。「女は女らしくあるべき」という超時代遅れな考えが変わることはこの先一生ないだろうと思う。

そんな母親のことを今は、責めたりもしないし、私がいくら説得しても納得はしてくれないだろうことは目に見えている。もし、私が結婚しないでこれからずっと働いていたら、毎月のように心配のLINEが入るだろう。子どもができなかったら、なぜ作らないのか問いただしてくるに違いない。

私は母親を、本当に尊敬している。こんなに愛してくれる世界でたった1人だけの母親だし、大好きだ。これからもずっと大切にしていきたい。でも、でも、やっぱり私はお母さんみたいな女性にはなりたくないよ。絶対理解してもらうことはないかもしれないけれど、もっと社会をみたい。もっと世界を知りたい。家族の枠を超えて、社会に貢献できるような人間になりたい。

わかりあうことができない大尊敬している母へ。
期待に応えれないわがままな娘でごめんね。
就職活動も望んでいたみたいに地元には戻って来ないと思う。
たとえ理解してくれなくても、ばかにされても、いつか娘を理解してくれる日が来るといいな。

母親に別れを告げて、実家をでた。
さあ、いざ東京へ。