週に3回泣く習慣を、もう10年ほど続けています。

自分が自分である事を受け入れられなくって、ひとりでストレスを溜め込んでいた高校生の頃、ふとした拍子に涙が溢れたことがきっかけです。
その時は泣きじゃくるでもなく、ただひたすらに、涙が流れました。
それまでは「泣く」といえば、感動、怒り、悲しみなど「何かしらの感情が膨らみすぎた時」だったのですが、この時の涙はそういうものではありませんでした。ストレス発散方法としての、「泣く」。

こういう涙もあるんだと、初めて知りました。

涙を流すことも、ストレス発散になる

汗をかいたら気持ち良いのと同じように、涙を流すことも、ストレス発散になるのだと思っています。体内から液体を出すことで、身体の循環が良くなっているような感覚。

「わたしにとっての一番のストレス発散方法は泣くこと」と気付いてからは、静かな部屋でひとり泣く時間を大切にするようになりました。

泣くことは恥ずかしくないし、良くないことでもない。
自分の中でそう受け入れられるようになってから、力まずに生きられるようになりました。
号泣ってほどじゃない。ちょっと泣くことで、わたしの心は穏やかになる。

自分の心が震えた時に、その事実をきちんと受け止められるように

泣く習慣ができてからは、自分が何に心が震えるのかを考えるようになりました。

例えば読書。
読んでいて登場人物の情熱の高まりを感じると、心が震える。

例えば音楽ライブ。
観客がアーティストを出迎える時の、熱狂している空気。
アーティスト自身が、ライブを開催できたことに感動している姿。
ライブ会場で湧き上がる全てのものはその場でしか受け止められないし、だからこそ心が震える。

泣くシーンは、悲しいばかりではありません。
嬉し涙、感動の涙、笑っていてついこぼれた涙、あくびでこぼれた涙。
同じ涙なんて一つもないし、同じことをして毎回泣けるわけでもない。

自分の心が震えた時に、その事実をきちんと受け止められること。
結果的に涙が出る/出ないの事実よりも、受け止められる心の状態が大切なのだと思います。

自分の中で沸き起こった感情は、きちんと受け止めた方がいい

ここ10年ほど「感情コントロール」「アンガーマネジメント」など、「感情を表に出すことは良くないこと」を超えて「感情が波打つこと自体があまり良くないこと」のように扱う風潮がありますが、わたしはそんなことはないと考えています。
自分の感情に素直になることは、とても大切。

「空気を読む」「相手の事を思って先回りして我慢する」など、自分の感情に蓋をすることを続けていったら、いつか自分の気持ちがどういう時に揺れるのか、わからなくなってしまう。

それは、すごく悲しいこと。

泣く、怒るなどの表現方法はシチュエーションによるので、様々な意見が出るでしょう。けれど、自分の中で沸き起こった感情があるなら、それはきちんと受け止めた方がいい。だってそれは、自分だけのものだから。他人の目を気にする必要はない。

今日もわたしは、ささいなことで喜んだり泣いたりします。
たくさんの物事に心動かされる感性を、守れるように。