好きなお酒はなに?と訊かれると、私はシャンパン!と大きな声で即答する。
別段気取っているわけでもなく、シャンパンの知識に特別明るいわけでもない。シャンパンという煌びやかなその響きをした名前の飲み物が、私をただただ惹きつけてやまないというだけだ。
シャンパンを細長い美しいグラスに注ぐときの、しゅわしゅわという音、繊細なきらめき。うすい黄金色にひかる液体はグラスに満ちるのと同時に、私の五感をたちまち幸福な気持ちで満たしてくれる。透明なグラスに注がれたシャンパンをしばらく観察するのも好き。
底から無数にたちのぼっては消えていく、こまかな泡沫。ぼんやり眺めていると、心が不思議と安らぐのだ。まるで満天の星をみているみたいな気分。
それは安物のシャンパンでも、高級なものでも大差なく、私はその飲み物にシャンパンという名前がついているだけで無性に胸がときめく。
社会に出て仕事をするというのは自分をすり減らすということ
お酒というのが大人の飲み物だという意味が、28才の今にしてやっとわかった。
どっぷり疲れた仕事終わりに飲む、冷たい生ビールのひとくちめ。そのえもいわれぬ美味しさは、大学生の時には知りえなかった味だ。
一会社員として働くのはわりと単純、楽しい、たまに苦しい、そして平凡。私の個性や感性なんてまったく求められていない。
そう、社会に出て仕事をするということは、自分をすり減らすことに他ならない。
新卒の私は世間知らずで未熟で、傲慢だったから、怒られることが嫌だった。プライドが高く、でもそれを悟られるのも嫌ときていた。そんな自分のことを社会不適合者じゃないかと疑うことは多々あったけれど、それをどうしても認めたくなくて、とりあえずがむしゃらに働いた。その中で、自分を殺すことを学んだ。
そうして社会人を何年かやっているうちに、段々と演技することが上手くなった。仕事のルーティンを覚え、年次も上になっていくにつれ怒られることはほとんどなくなった。
それはきっと仕事が出来るようになったわけではなく、ただ社会の中で擬態しているだけだ、とちゃんとわかっている。だからそういう自分のことがあんまり好きじゃない。
パズルのピースのようにぴったりあてはまった仕事をしたい
現在二つの職種を経験しているが、自分にとってどちらの職業も天職とはいえないときっぱり言い切れる。
天職、というのはすごい。
同僚を傍から見ていて改めて思う。天職の人というのは自然体でいて、水を得た魚のようにいきいきとしている。もちろんそれは本人の努力の賜物であるのを前提にしても、彼もしくは彼女とその仕事はパズルのピースのようにぴったりとあてはまっているのだ。
私はそれが素直に羨ましい。そう伝えると、彼らは口を揃えてちょっと困ったような笑顔でこう言う。
「わたしにはそれしか無いから」
謙虚さもまた、天職についた人の特徴の一つだ。
しかし私は自分の天職ではないと理解しているけれど、いま目の前にあるこの仕事も大切なのだ。それは社会から必要とされているという安心感や、生きるために稼ぐという必然があるので、仕事ができるということはありがたいことだ。
そう感謝しつつも、私はそっと目を閉じて考える。
いつか私にも天職が舞い降りてきますように。自分を殺さないで、自分の感性を活かした仕事をしたいなぁ。仕事でくたくたになって眠りにつく前、ひそかにそう夢見ている。
金曜日にはシャンパンを飲みながら、夜空に願いを
花金にはシャンパンを飲むのが私のルーティン。恋人と背伸びしたレストランで、気のおけない友人とバルで、もしくはコンビニで調達して一人おうちで。
こころゆくまで観察してから、シャンパングラスに口をつける。
つめたい黄金色の液体がしゅわしゅわと音を立てながら私の喉を通り抜けていくとき、私は目を閉じて自分の身体のなかに星がたくさん降っているのを感じる。しゅわしゅわきらきらと音を立て際限なくきらめきながら。
そうやって自分だけの夜空を見上げることができるので、私はやはりいつもシャンパンを飲むのが好きだ。心に秘めた願いをそっと夜空に向けながら。