南半球に淡く輝く南十字星。サザンクロスとも呼ばれる星は、近くにダイヤモンドクロスというダミー星があり、見分けるのが難しい。ポインターである2つの星が見つかれば、南十字星で間違いない。目印となるポインターやダミーのダイヤモンドクロスよりも本物の南十字星の方が輝きがない事実をどこか皮肉めいていると思うのは私だけだろうか。
一度きりの人生、後悔のないように生きたいと思った。
私が初めて南十字星を目にしたのは、ニュージーランドの南島にあるテカポ湖だった。大学を卒業した年の10月、ワーキングホリデービザを使ってニュージーランドへ向かい1年間の時を過ごした。就職も進学もせずに海外へ向かった理由は、自分に自信をつけたかったから。産まれてから大学を卒業するまで実家を出た事がなかった私は、母親のお手伝いはおろか家事というものを一切した事がなかった。地元の狭いコミュニティの中でしか生活した事がなく、ニュースや政治など世の中の動きに関心を示したこともなかったため、相当な世間知らずだったと思う。それに加えて、高校時代からミュージカルや舞台に興味を寄せて、役者になりたいと夢見る夢子さんだった。
夢を持つのは人それぞれだが、自分の希望とは裏腹に時間は経過し、就職活動をする時期になった。私も周囲の流れに乗って就職活動をしたが、まずエントリーが通らない。辛うじてどこからどうみてもブラック企業とわかる会社から内定をいただいた。そのまま就職するものと自分でも思っていたのだが、心の隅でずっと持ち続けていた役者になりたいという想いがむくむくと急成長を始めたのだ。一度きりの人生、後悔のないように生きたい。私は内定をお断りして、当時の学生が歩むべきスタンダードな人生の道から外れた。
拙い英語で夢を語った、ニュージランドでの思い出。
役者になりたいのになぜニュージーランドへ行ったのか。それは先にも答えたように自分に自信をつけたかったから。役者になりたいのであれば、演技を学べる学校や養成所に入るのが順当だし、私もそうするつもりだった。ただそうできなかったのは、私の中に迷いがあったから。周囲の人からどう見られるかを気にして生きてきた私は、友人に役者になると自信を持って言えなかったのだ。大学を卒業して就職もせずにいる時点で周りから好気の目で見られるわけだから、世間体も何もあったものではないのだが。そういうところには頭が回らなかった。自信がないまま、そして世間のことを何も知らない私が役者になるために東京へ行っても絶対に失敗すると思い、私はニュージーランドへ向かった。この話をすると誰にも共感されないのだが、当時の私にしてみれば、ニュージーランドよりも東京へ行くことの方が遥かに怖かった。
斯くして私はニュージーランドへ降り立った。英文法や長文は読めても英会話ができない典型的な日本人だったため、語学学校に通うところからスタートするのだが、まあ色々あった。様々な背景や文化を持つ人々と出会い、良いこともあれば当然思い出したくもないような悪いこともあったが、その経験や出会いの全てが今の私を形作るベースとなっている。
ワーキングホリデー中の日本人も多くいたため、英語が上達したかと言えば微妙だが、当初の目的である自分に自信をつけるという点はクリアできた。思い出に残っているのは、北島にあるケリケリという田舎町に滞在していた時に出会ったフランス人の女性とドライブ中、拙い英語で私の夢を語ったことだ。役者を目指していること、日本に帰ったら演技の勉強をすること、どんな役者になりたいのか、正しく伝わっているか定かではないが、フランス人の女性は急かさずちゃんと話を聞き、「いいじゃない!夢を持つのはいいことよ。応援しているわ」と言ってくれた。その場限りの出会いではあったが、ちゃんと言葉にしたことで自分で自分の想いをはっきりと認識できた瞬間だった。
忘れられないあの夜空。いつか感謝の想いを伝えたい。
ニュージーランドに滞在できるのも残り1ヶ月となった8月、真冬の中、私はテカポ湖にいた。南島にあるネルソンという町に滞在していた時に出会った女性が、テカポ湖にある星空ツアーのガイドとして働けることになったと聞いていたので、日本へ帰国する前に会いに行ったのだ。冬のテカポはとにかく寒い。冬だから寒いに決まってはいるのだが、世界地図を見てもらうと分かるように南島の先には南極大陸があるのだから、とにかく寒いのだ。語彙力がないため寒いという言葉を羅列することでしかお伝えできないのが悔しいが、厚手の下着の上にセーターを着て、ニュージーランドのスーパーで10ドルで購入したもこもこのパーカーを着て、更にダウンジャケットを着込んでやっと外を歩けたと言えば伝わるだろうか。昼間はもこもこパーカーなしでも大丈夫なのだが、夜に外を歩く時には着込んでおかないとまず外へ出れない。
テカポを立つ前日の夜、私はテカポ湖のほとりにある教会に広がる原っぱに座り込み夜空を眺めた。ただただ座って夜空を見上げているだけなのだが、冷たく張り詰めた空気の中で行う行為はどこか崇高な儀式をしているかのように感じられた。その時に見えた南十字星に私は心の中で必ず役者になり、日本人として誇りを持ち日本の良さを世界に伝えられる文化人になりたいと誓ったのだ。写真に収めたわけではないが、あの時に見た夜空は今でも心の中で鮮明に思い描く事ができる。
誓いを胸に日本へ帰国した私は、東京で養成所に通い、事務所に所属し役者として舞台やテレビでの仕事を経験した。しかし、自分の理想通りにいかない現実や不安定な生活の中で精神を病み、あれほど一生の仕事にしようと意気込んでいた役者を辞めてしまった。後悔がないかと言えば嘘になる。だがやめる選択肢を選んだことへの後悔はない。私には必要なことだった。
あれから思い出の地であるニュージーランドへは行っていないが、今思い描く夢が形になった時、再びニュージーランドへ向かい、テカポ湖の教会のほとりで、私を勇気づけてくれた南十字星に感謝の想いを伝えたいと思う。