“予定表の済んだ用事は赤い色に変えたくてたまらない”
今日も私はそんな感覚に息巻いて、ひどく興奮して出勤のバスに乗り込む。
子供の頃から包装用のぷちぷちを潰すのが好きだ。ダンボールに入っているぷちぷちを見ると、もはや届いた贈り物よりもぷちぷちのことで頭がいっぱいになる。
一つ潰すたびに心が晴れやかな気持ちになっていくから、我を忘れて夢中になって、次々と押していく。ぷち、といい音が鳴る瞬間は胸が高鳴る。
そうして子供の私は、全てを潰し終えた平らなビニールを、満足げに何枚も何枚も引き出しの中に大切にとっていたそうだ。
ある時、せっかくのぷちぷちを筒状に丸めて、まるで雑巾か何かを絞り上げるようにまとめて潰す人を見た。
その時の背筋がぞおっとした感覚は今でもとっても鮮明だ。なんてもったいないのだろう。なんて情緒がないのだろう。なんて恐ろしいのだろうと。
一つ一つ念入りに丁寧に、順番にぷちぷちを潰す感覚は、単に破裂する快感だけではないのだ。
ぷちぷちを一つずつ潰し終えた快感と、予定表を赤く塗りつぶす興奮
目の前にある“タスク”を消化していく喜び。全て潰し終えて平らになったビニールを見るとやっと心がホッとする。すべきことをやり終えるまでは、わたしは眠ることもできない。時間切れになって晩ごはんの時間になってしまっては、無念で死んでしまうかもしれない。
限られた短い時間で確実に一つ一つのぷちぷちを潰していくには大変な集中力が必要だ。私の心臓は波打ち、私の手は汗ですべる。そうして多大なプレッシャーを跳ね除けて全てを潰し終えた時、快感はどっと押し寄せる。
大人になった私がぷちぷちの代わりに熱狂しているのがパソコンの予定表だ。30分刻みでびっしりと入力する。まるでぷちぷちの列のようにびっしりと。
そうして一つ一つ消化するたび、その予定を赤い色に変えるのだ。
電話は青、アポイントはオレンジ、郵送作業は黄色、会議は緑…色とりどりだった朝の予定表が、一日を終えて会社を後にする頃には真っ赤に染まる。指でなぞって一つ残らず赤くなっているか確認してやっと、わたしは自由な身になれる。
単に仕事を終えたいのではないのである。あくまで一つ一つ丁寧に赤く変えていく。変えていく瞬間は本当に興奮する。指先でぷち、ぷちと押していた子供の頃のように。ルーティン作業などでは決してない。真面目なんて言葉は一番嫌いだ。毎日そこにはドラマがあり、脈打つような躍動感があるのだから。
一つ一つを質高くスピーディーにこなせた時、恍惚とした気分を味わえる
一つ一つ前に進んでいくこと。振り返ると自分のすべきことが着実に終わっていること。それこそが私の平穏であり、幸せなのだ。
雑巾を絞り上げるようにまとめて潰す人を見た時の、ぞわついた感覚は、仕事の質よりスピードを求められる場において、今でもついて回る憂鬱な感覚だ。
粗雑に追い回されてしまう。ぷち、といい音がせずに、ぷしゅー、と空気が抜けた時の虚しさにも似ている。
潰されずに残ってしまったぷちぷちが、綺麗に潰れずに時間切れになってしまったぷちぷちが、いつか私の足元をすくうかもしれない。
その一粒が、命取りなのかもしれない。
そう考えるとたまらなくなる。
私がぷちぷちを潰したいのも、予定表を赤く変えたいのも、もしかすると強迫観念なのかもしれないし、陳腐な言葉で言えばストレスなのかもしれない。
でもそうやって一つ一つのすべきことを、質高くスピーディーに着実にこなしていくことにこそ、自分の能力を感じるし、自分を褒めたり恍惚したりすることできるのだ。
すべきことが全て終わってこそ、ガサガサとぼんやりとした時間にも罪悪感を感じなくて済むのである。
わたしは精一杯リラックスするために、今日も大変な集中力と多大なプレッシャーをかけて、躍動的に一日を過ごしている。