あの子がいたから、わたしはかつて捨てた夢を思い出すことができた。
他の人たちと違う言葉をかけてくれた彼女に感謝を伝えたい。

成人式での気がかりは、進路を聞かれること。国立大に受かったけれど

2020年の1月、私は成人式のため実家に帰っていた。
当時の私は、中学時代の友人に久しぶりに会えることや振袖を着ることに心躍っていたが、一方で気がかりなこともあった。

それは、進路を聞かれること。
中学の先生が成人式に来ることは事前に知っていた。教え子の進路は気になることだろうし、姉もそういうことを経験していたらしかった。
また、同級生に聞かれることも容易に想像できた。大学受験の1カ月前、同級生からどこの大学を受けるのか聞かれたことも同時に思い出した。そのときは高校に提出する書類には近所の国立大学を第一志望として書いていたから、その同級生にもその通り伝えた。帰って来た返事は「すごい」とか「さすが」といったものだったと思うが、正直よく覚えていない。
国立大学を第一志望に選び、受かったのは事実だけれど、それは私の選択ではなかったからだ。

もやもやした気持ちを抱えながらも成人式の会場に着いた。
見知った顔を見かけると、互いに振袖を褒め合ったり写真を撮ったりした。それが落ち着くと、話の中心になっていた誰かが近況報告をし始める。
大学に通っている人、就職している人、進路は大方この2つだった。

同級生たちの誉め言葉に、へらへら笑って返事をするだけだった私

「夏橙も大学通ってるでしょ? どこの大学なの?」
話の中心にいた女子が思わぬキラーパスを渡してきたのだ。しかも、私は大学に通ってて当然、みたいな物言いだった。間違ってはいないのだが。
私が通っている近所の国立大学の名前を出すと、話に入っていた同級生たちは口々に褒めてきた。
「夏橙は昔から頭良かったもんねー」

同級生の悪意のない言葉が余計に私を苦しめた。私はそんな同級生たちの言葉に「そんなことないよー」とへらへら笑って返事をするだけ。
なんだか自分がみじめだと思った。

そんな会話が何度か続いたところで、中学時代に一番仲がよかった友達と会った。
彼女とは別の高校に通っていながらもたまに会っていたから、特段変わったと思うこともなく、懐かしいねとはしゃぐこともなかった。
さっき○○のお母さんに会ったよ、なんて普通の会話をしていたが、友達の方からもあの質問が出てきた。
「どこの大学通ってるの?」

彼女の問いに、他の人たちに答えたのと同様に近所の国立大の名前を伝えた。
このときはまだ、他の同級生同様に誉め言葉をかけてくれるのだと思っていた。
しかし、彼女は一瞬黙って訝しげな表情を見せた。
聞き取りづらかったのかな、と思いながら私は友達を見た。バイト先の社員さんに農学と法学を聞き間違えられたことを一瞬思い出して笑いそうになる。
しかし、彼女の反応は私が思っていたものとは違っていて、私の思考をすぐに現実に引き戻した。

親に言われるがまま受けた大学。これが私の進む道だと自己暗示した

「そこって栄養学科あるの?」
どうしてそんなこと聞くんだろうと思いながらも、どうして彼女がそんなことを聞いてきたのかすぐに合点がいった。私の中学時代の夢は栄養士になることだったからだ。

高校2年の冬、志望大学選びを本格的に始めたころ、親から国立大学を受けるように言われた。私の志望学科で国立はあまりなく、私の学力で行けるのは公立が限界だった。親が世間体のために国立進学を望んでいるのはわかっていたし、それが嫌だとしても逆らうほどの力は私にはなかった。
結局、親に言われるがままに大学を受け、あまり興味のない分野に進んでしまった。それでも、そんな自分を正当化して、これが私の進む道なのだと自己暗示していたから、友達に言われたことで自分が本当になりたかったものを思い出すことができた。
今でも、彼女だけが私を覚えてくれていたという事実が私の中に残っている。

大学での出会いもあり、今は大学の専攻分野に興味を持てるようになってきた。
今なら農学という分野を好きだと言えるかもしれない。
3月から始めた就活も無事に終わり、今は新しい夢に向かって進んでいる。
昔の夢は捨ててしまったけれど、今はこの夢に向かって進んでいきたい。
そして、これが私の夢なのだと胸を張っていえるようになりたい。