今年、私は成人式に参加する年齢だった。でも、私はロンドンにいた。成人式に行きたくなくて、長期留学を理由に「逃げた」のだった。

一生懸命な自分を非難され、自信が持てなかった

自分の通っていた中学校は公立中で、あまり良い思い出がなかった。
授業が授業になっていないことも多く、勉強に集中できない。クラスメートが急に殴り合いの喧嘩をすることも。

高校へ行く目的は「なんとなく」の人がほとんど。そんな中で、市外の塾に通って進学校を目指していた自分は「みんなとは違う存在」だった。
一生懸命何かをする度に、テストでいい点数を取る度に、自分が浮くことが嫌だった。
「また真面目にやってるよ、ダサ」と陰口を叩かれたり、「がり勉」と揶揄されたり。自分に自信を持てなかった。

中学卒業後、市外の進学校に進み、県外のいわゆる一流大学に進んだ自分は、中学の同級生と会うことはほぼなくなっていた。
しいて言うなら、高3の時の電車内で、すでに進路が決まって遊んでいた元クラスメートに「〇ちゃん、〇大受けんの? やば」と言われたくらいだった。

「人と違う」ことへの焦燥感。人と違うことを認めたくない。

成人式で、そんな子たちと再会するのが嫌だった。
女の子だと4年制の大学に進んだ人は本当に一握り。もう、結婚して家庭を築いていたり、就職して自分のやりたいことをやっていたりとする子が多く、謎の焦燥感を抱く。
自分の本業は学問を修め、みんなが生きやすい社会を作ることだとするならば、彼女達のようになる必要はないのに。

それでも、5、6年前まで同じ教室で学んでいた子たちと自分の立ち位置が大きく異なっていることを実感するのが嫌だった。

「人と違う」ことは社会の中では当たり前なはずなのに、「人と同じ」ことを善とする教育を受けてきた自分は、中学の時のように、人と違うことを認めるのが許せなかった。
だから、敢えて大学2年生で長期留学を決め、成人式当日は時差9時間のロンドンの寮で寝ていた。

楽しそうな写真の数々。自分もいるはずだった場所。

イギリス時間で成人式の当日になり、起きた。SNSを開いて後悔した。
ツイートや、ストーリーズ、写真の投稿で色とりどりの振袖があふれていた。懐かしい人達が笑顔で写真を撮り合っている。

「まじ、〇〇がいないと成人式行きたくないわ」と言っていた数少ない中学時代の友人も、いつも「SNSは見る専」の子たちでさえも、楽しそうだった。
成人式後の学校ごとの集合写真、部活で一緒だったメンバーでの写真、同窓会でのクラス写真。どれも自分がいてもよかったのでは? と思えてしまった。一人で泣いた。「成人年齢は18歳」とされる異国の地で。

自分が勝手に、「彼ら彼女らとは違う。だから自分が行くのは邪魔だ」と思い込んでいただけだったのかもしれない。悔しかった。気づくのが遅かった。

本当は、「成人式に行かなくてスッキリした」と思えるはずだった。それなのに、成人式を欠席して残ったのは「行けばよかった」という後悔だった。

数か月後、コロナの中でも成人式を行う自治体も少なくない。自分のように成人式に行きたくないと思っている子達もいるだろう。
そんな人達に言いたいのは、行ってみるのも悪くないかもよ。と。

成人を式典まで開いて盛大に行うのは、日本くらいだ。海外での20歳は、成人年齢がそうでないことも多く、あっけない。
だから、世界的にも希少なチャンスを逃すのは勿体ないということもあるので、お節介なお姉さんは君達にぜひとも行ってほしいのである。