最初はテレビの工作番組のお兄さん。次はたぶん、おもちゃ屋さん。お菓子屋さんかケーキ屋さん。漫画家の時もあれば、カメラマンの時もあった。見たこともないのにイルカの調教師と言って、小学校の卒業文集にはそう書いた気がする。
「将来の夢」だ。

生易しい「将来の夢は?」問いかけは「進路希望調査票」と名を変える

幼稚園から小学校、七夕の短冊やら、久しぶりに会った親戚、近所のおばさんにまで。子供の頃に聞かれる「将来の夢はなあに?」の質問は、だいたい素直に答える小学校の高学年まで問われ続ける。
子どもの「将来の夢ランキング」にYouTuberが入ったとニュースになってから何年経っただろうか。どこかの偉い人が〈今の子どもが大人になるときには今はない職業に就く〉と言っていた言葉も実感を持って思い出す。子供の頃は、YouTuberなんてなかった。
中学校、高校になると「将来の夢は?」なんて生易しい問いかけではなく「進路希望調査票」と名を変える。やりたい事、就きたい職をめがけて、学校や専攻、修業先を決め進学・就職する。医者になりたいのに文学部に行ったり、先生になりたいのに教員免許を取れない学校に行ったりしないために、調べ、選択し、進んでいく。進路。すすむみち。

「将来」なんて漠然とした遠くの事、考えられなかった

「イルカの調教師」と書いてから、「将来の夢」が全くなかった。今読んでいる本や、来週の友達との約束や、来月のテストや、長期休みの部活のスケジュールや、漫画の新刊の発売がいつかは考えるけれど、「将来」なんて漠然とした遠くの事、考えられなかった。
怖かったのだ。どうしてみんな考え付くのかわからなかった。「親の敷いたレールの上なんか走っていられるか!」というご立派な自立心はなく、出来ることならレールを敷いてもらって、道案内の看板か優秀なナビもつけてもらって、安全保障付きの保険もかけてほしいくらいだった。明日の自分が食べたいごはんも今わからないのに、将来の夢なんてわからないよ!

高校2年生も終わるころ、大学受験モードの周囲。進学校の中で進路希望調査票を書けずにいた。得意なことも特技もなく、突き詰めたい程の趣味もない。締め切りは明日。法律の勉強は高校まではあまりしないだろうし、大学に入ってから頑張ればなんとかなるかな。「第一志望:法学部、理由:司法書士の名前がかっこよかったから。」
そんな進路希望調査票を見て驚いた父から言われた一言。『なりたい大人と就きたい職業はちがうぞ』『ほんとに法律勉強したいのか?』

なりたい自分の姿を描き続けて、そのために道を進んでいけばいい

視界が開けた。今まで聞かれていたことは「将来の夢」ではなく、「将来どんな仕事をしたいか」もしくは「いま何に興味があるか」だった。幼稚園児の答える「お花屋さん」は「花が好き」とか「いまお花を育てている」、「ケーキ屋さん」は「このまえお母さんとケーキをつくったよ」「美味しいケーキがだいすき」という意味なのではないだろうか。
大人になったら、庭つきの家で、友達家族と焼肉してお酒を飲んで、好きな本を新刊で読んで、週末は子どもと遊んであげられるような…ってことは、庭つきの家に住めるくらい稼いで、子どもがほしいから結婚して、本屋があるまちに住まなきゃ。美術館もすきだから、アクセスがいいところがいいな。そのとき自分はどんな仕事をしていたいか?……

将来を考えることが、怖いことじゃなくなった。なりたい自分の姿を描き続けて、そのために道を進んでいけばいい。今の自分の最善を突き進むと、あとから遠回りだったと思うかもしれないけれど、その時の自分にとっては一番の近道だ。
父にあの時のひとこと、今でも覚えているよと伝えると「そんなかっこいい事、おれが言ったか?」と忘れていた。