あのルールを破れたら、充実していた学校生活に…と、ある後悔をしている自分はいなかったのかもしれない。
私は男になりたいわけではなく、女に括られることにも違和感がある
何となく、“女性”という括りに違和感を覚えたのは、小学生の頃だった。両親が共働きで、祖父母の家に預けられることが多かった私は、二人に「立派なレディになりなさい」と言い聞かせられて育った。自分が「レディ」と言われることに、少しの嫌悪感を抱いていたのを、今でもよく覚えている。
祖父母のことは、今も昔も大好きだ。そんな尊敬できる存在だったからこそ、二人に分かってもらえないという、やるせない気持ちが、心のどこかに引っかかっていたのかもしれない。
小学3年生になった頃だっただろうか。急にスカートを着ることが嫌になり、男の子向けの服を着ることが増えた。短髪だったから、ズボンを穿けば「女子か男子か分からない」と言われることが多かった。そんな風に、性別の区切りに影響されなかった時が、自分が一番生き生きとしていた時だと思う。
でも、親戚や親は、そんな私に疑問を覚えることもあったのだろう。「男の子になりたいの?」と問われることがしばしばあった。今でも時折、友人に聞かれることがある。結論をいうと、“男”になりたいわけではない。
かといって、“女”に括られることにも違和感があるのだ。自分は“自分”だ。なぜ性別で区別されなければならないのだろう、と考えることが今でも多い。
学生時代に私の前にあった壁は、「性別」で制服が決められていること
そんな私の第一の壁は、中学校への入学だった。地元の中学校の制服は、男子は学ラン、女子はセーラー服だった。スカートを穿くのがどうしても嫌で、入学式当日は、家を出るギリギリまでスカートと睨めっこをしていた。一度スカートを穿いてしまったら、自分が自分じゃなくなる気がして、どうしても嫌だったのだ。
それでも何とかスカートを穿いて、校則通りの格好をして学校に通った。今思うと、途中から感覚が麻痺していたような気もする。
そして、第二の壁は高校への入学だ。やはり、ここでも女子の制服はスカートだった。上はブレザーとネクタイで、違いがあるとすればボタンの左右差だけだ。それだけでは、パッと見はどちらか分からない。
それでも、スカートかスラックスかを見れば、性別の区別は明白だった。入学式前の制服採寸の時、担当してくれた係の人にスラックスはないのかを聞いた。すると、「ごめんなさい、女子のスラックスはないんです」と言われ、私は「あ、そうですか」と返した。
こんな一言二言のやり取りで引き下がってしまったことを、未だに後悔している。もしあそこで、「男子の物でもいいのでください」と食い下がっていたら、少し違った未来になっていたのではなかろうか。
望みは薄いが、今こんな風に後悔している自分はいなかったのではないかと、ふと自問することがある。考えても答えは出ないが、それでも想像してしまう自分がいることが、たまにもどかしい。
自分の好きなように「自分を見せることができる環境」は居心地が良い
現在、私は都内の専門学校に通い、なりたい自分になる為に日々奮闘している。調理系の学校ゆえ、コックコート等はあるが、通学時は私服だ。気分によって、レディースを着ることもあれば、メンズの服を着ることもある。
また、書き物をする時は、“私”と自分のことを呼ぶが、実際には“俺”という一人称をよく使う。別に男らしくありたいとかではなく、この一人称が最も自分らしいから、そう言っている。こうして、自分の好きなように、自分を見せることができるこの環境は、本当に居心地が良い。
ジェンダーレスの制服を採用する学校も増え、LGBTの概念が徐々に広まりつつある中、私のようなLGBTQ+に属する人は、まだあまり知られていないように思う。どうやら私は、ノンバイナリー(性自認が男女のどちらでもない)の、Aセクシュアル(どの性別も恋愛対象に入らない)らしい。正直、この概念に名前をつけるのも、自分の考えとは異なる気がするが、話せば長くなってしまうので、それは一度置いておこう。
もし、あの時制服のルールを破れたら、こうして後悔している自分も、卒業アルバムを見て眉間に皺を寄せる自分もいなかったかもしれない。そんな過去はどうやっても変えられない。
けれど、今の私は、実に“自分”らしく生きている。たとえこの先、後悔をすることが何度あったとしても、自分らしくあり続けたい。そう宣誓をして、この話を一度終わることとする。