あのルールを破れたら、私は今でもあの場所にいたのだろうか。
私はこの3月で、教師として2年間勤めた高校を辞めた。
様々なジェンダーの為の新しい制服なのに、教員がそれを茶化すか?
理由はいろいろあった。一番の理由は、もともと長く勤める気がなかったこと。学生の頃、学校という場所になじめず行き場のなかった私は、いつか不登校支援に携わることを目標にしていた。
そのためにもま、ずは学校現場を知らなくては、という思いで学校を職場に選んだ。卒業生こそ出していないものの、おおかたの学校の業務と内情を知り、担任を経験したところに結婚と転居のタイミングが重なり、私は仕事を辞めた。
そして4月から、教育に携わる新たな職場で働いている。でもいざ退職する日、最後にふと職員室を振り返りながら、理由は他にもあるような気がした。のどかな自然の中にある田舎の学校で、私はずっと小さな違和感を感じながら働いていた。
掃除の時間が終わった頃、職員室に戻ってきた中年の男性教員が「女なのに掃除をしない生徒って、なんなんだろうな。将来ろくなおばさんにならないよな」と言う。一瞬、小さな沈黙が流れた。が、少し経って、くすくすと笑い声が起こる。「たしかに」とか「ほんとですよね」とか。マスクの下で、私だけ上手く笑うことができなかった。
働き始めて1年が経った頃、学校の制服のデザインに新しいものが追加された。女子生徒用のスラックス。会議でお披露目した時、ジェンダーに配慮した時代の流れに乗ったのだと、導入を決めた上司は誇らしそうに話した。男子のスカートも一緒に導入すればいいのにと思った時、隣にいた若い男性教員が「男子のスカートも作っちゃいますか」と言った。それは、あきらかに茶化した言い方だった。
年配の教員を中心に、どっと会議室に笑いが起こる。「そりゃ見てらんないわ」「穿いたら絶対いじめられるね」「女のズボンの方がまだマシ」などと。
男の子がスカートを穿いてもいじめられないような社会に向かう、その流れに乗っているはずではないの。そんな戸惑いと憤りが込み上げながら、私は小さな会議室の中で座っていることしかできなかった。
男性教員が「女は働かないわりに、会議で口出しばかりする」と言った
学校では週に一度、管理職や上層部の教員だけの会議があった。ちょうど定時を過ぎるころに会議が終わり、その中の子持ちの女性教員が速足で職員室を出ていく。
職員室のドアが閉まるなり、中年男性の大きな独り言が響いた。「女は働かないわりに、会議で口出しばっかりしてくるよな」。
いらだっているその教員を、それより若い男性教員たちが笑いながらなだめる。私は自分が空気のように感じて、ただデスクの上で小さくなって仕事を続けた。
私が笑えない時、笑えている人たちが本当はなにを思っているのか、わからなかった。2年間ずっと、わからなかった。それを知るのも怖かった。
夢に描いた教員の職場には、見えない大きな壁のようなルールがあった
あの場所を離れてしばらく経ち、あの職場がまるで遠い国のように感じ始めた時、私はふと思った。担任をしていたクラスの愛おしい子どもたちの卒業も見届けず、たった2年で離れたあの場所。
本当に夢のためだけの離職だったのか。本当は、ずっとあの場所にただよっていた生きづらさを、目に見えないルールを、無視することも、ふり払うこともできなかったからではないか。
あのルールを破れたら、私は今でもあの場所にいたのかもしれない。でも、あの時の私には、そのルールがとてつもなく大きな壁に思えた。とても今の私には乗り越えることのできない、果てしない壁に思えた。
何もできなかったあの日々を思い返す度、私は罪悪感で胸がきゅっとなる。そして、密かに決意する。いつかあの壁に立ち向かう力を身につけるために、私は今日を生きていくのだと。