“あのルールを破れたら”というよりも、破ったためにこのエッセイを書いている。

広辞苑によると、“ルールとはすなわち、規則、通則、準則、例規。そして、ルールは守られるべきであると同時になくてはならないものであること”を前提として話していきたい。

人を見た目で判断してはいけないと言うが、後悔した人もいるのでは?

私にとって煩わしいルールとは、髪色は暗くするべきだという会社の規則である。以前、アルバイトで髪色が明るかったために帰宅命令が出たときに、あれこれと考えてみた。

世間ではよく「人を見た目で判断してはいけない」といったことが囁かれ、実体験とともに痛感したことのある人も多くいることだろう。私も実際、初対面の人のイメージを瞬間的に決めつけたせいで、私と馬が合うことに気づくのにかなり遅れたこともあった。後悔はせずとも、反省はした。

いくら「人のイメージは出会って数秒でつく」だとか、「見た目が第一印象の9割を占める」だとかいっても、それがその人の全てかのような思考は取っ払うと決めた。

そのおかげで人のイメージの変化が、良くも悪くも柔軟に対応できるようになった。しかし、今回のテーマはここが重要なのだと思う。おそらく会社の言い分としては、派手な髪色であれば「あのアルバイトは信用できるのか」「本当に仕事をこなせるのか」と相手に思われることを避けたいのだろう。アルバイトのイメージはそのまま会社のイメージであるし、一アルバイトによって会社を勝手に判断されては困るのだろう。

髪色で相手が不快に感じるのを懸念した帰宅命令には、納得してない

といっても、私には私なりの考え方がある。そもそも、本当に仕事ができるかできないかは、相手と少しでも関われば分かることである。少し話せば、どういった態度で臨んでいるかもすぐに分かる。実際に、「対人関係の仕事であっても髪色がどうであれ、結果を残してくれば何の問題もない」と言っている会社が、昔から現在に至るまでたくさんある。

だからこそ、髪色で相手が不快に感じるのを懸念して出した帰宅命令には、あまり納得はいっていない。とはいえ、その会社に雇われている以上、そのルールは必ず守らなければならないことは確かであるし、そのルールが絶対的存在で、秩序が保たれているということも理解できる。

今ある会社、かつて成功した会社は、必ずしもすべての会社が髪色を自由にしていたわけではないだろうし、厳しくても現在成功している会社もたくさんあることだろう。

帰宅命令が出たときは落ち込んだが、いい機会だと捉えなおして考えた

私は仕事の仲間から自身の仕事ぶりを評価してもらっていたため、その仕事に対して自信もあった。そのためか、帰宅命令が出たときはかなり落ち込んだが、いい機会だと捉えなおして考えてみた。

どちらが悪い、どちらが正しいなどはない。どちらの言い分も恐らく理解してもらえるだろう。

だから、「あのルールを破り、そして廃止できたら」そう思っていることは事実であるし、もっと言うと「私を帰らせるなんてもったいない」そう思ったりもしているが、私は会社の規則を変えることはできないので、自分なりの結論を一つ出してみようと思う。

ここまで来たらもうこうするしかない。うん、バイト変えよう!