かがみよかがみでは、「メディアへのもやもや」をテーマにエッセイを募集しました。たくさんのご応募の中から、編集部が一番心に響いたエッセイを「かがみすと賞」として選ばせていただきました。

今回は、かがみすと賞1本、編集部選として1本のエッセイをご紹介いたします。

◆かがみすと賞

わたしは人の苦しさや、ましてや死を、単に数量でしか感知できなくなっているんじゃないか(奥山いずみ)

感染拡大を伝える報道から、一時期距離を置いたという奥山いずみさん。その理由は「人の苦しさや、ましてや死を、単に数量でしか感知できなくなっている」気がしたからだと綴ります。特に次の文章にはハッとさせられました。

人の苦しみも、生き死にも、情報になると記号化される。記号になって、簡略的になったからこそ、遠い距離を越えてわたしが知ることができる。
当たり前のことなのに、忘れて、画面に見入る自分がいる。そして、記号化された情報を見て、わかった気になりかけたところで、あ、危ない、と気づくのだ。

惨状を伝えるニュースを見るときの、どこか居心地の悪さや違和感が、するどく言語化されていると感じました。コロナの報道だけにとどまらず、どのニュースに対しても、自分がどのように見て、何を感じているのか。改めて立ち止まって考え直す機会となる、とても素敵なエッセイでした。文章全体もとても読みやすく、多くの人に届くエッセイだと感じました。

◆編集部選

雑誌やテレビの「30代をすぎて未婚=訳アリ」の定義にため息(あっ!なぎ三郎)

離婚歴のある女性や独身の女性を「訳アリ」と表したテレビ企画や、結婚を焦らせる文言の並んだ特集記事。結婚にまつわるメディアの煽りに以前は焦りを感じていたものの、今では「だいぶ慣れてきた」と、あっ!なぎ三郎さんは綴ります。焦っていた当時の心情を表す次の一文に、「そうだよな」と納得しました。

一部のメディアが提示する局地的な地図をあたかも世界地図と勘違いして鵜呑みにしていたんじゃないか、と思うようになった。

最後の段落では、メディアの表現に傷ついている女の子たちへのメッセージと、ご自身の想いが素敵な言葉で綴られています。読み終わったあと、勇気をもらえる、温かくも心強いエッセイです。

以上、「メディアへのもやもや」のかがみすと賞、編集部選の発表でした!たくさんの素敵なご投稿を、本当にありがとうございました。現在募集中のテーマはこちらから。みなさまからのご投稿、お待ちしております!

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