「なんで女子大を選んだの?」って聞かれるたびに微妙な気持ちになる

女子大は両親からの同意も得やすいのか、家柄の良い子や綺麗な子も多く、良い意味でのんびりした子が多かった。これは、私の体感だが、難関大の滑り止めで受験していた子が来ることもなく、絶対的なやりたいことや野心がある子が来ることも少ないように感じていた。
実際、私の周りものんびりした子が多かった。実家生が多く、アルバイトは生活費を稼ぐためではなく、自分の欲しいものを買うためにしている子が多かった。持っているバッグはもちろんブランド物。
彼氏がいる子といない子は、ほぼ半分の割合だった。彼氏がいる子は行動力があって、男性も多いアルバイトやインカレのサークル、合コン等に繰り出していた。彼氏がいる子には、その出会い方を聞き、大学や勤め先の話をしては、将来安泰だねと言い合っているのが日常的にある場面だった。
女子大には部活のようなサークルしかなかった為、私はインカレのサークルには絶対入ると決めて、友達といくつか新歓に参加した。結果、一人で見つけたのんびりしていて、家族みたいな雰囲気のサークルに入部を決めた。
ただ、私がこのサークルに居心地の良さを感じて、みんなと仲良くなる一方で、集まる中で自分で勝手に不具合やコンプレックスを感じるようになった。サークルのみんなは男女、先輩後輩問わず、仲間として、家族のように付き合ってくれた。
ただ、女子大という特殊な立場を利用してこの場に、当然のように紛れている自分に嫌気が差すようになった。学祭の日はもちろん大学が違うから、参加する為には授業を休まなくてはならず、大学の敷地内には入れても、図書館には申請をしないと入れない等、活動の中で何かと不便を感じることが増えた。
サークル内で対立が起こった際には、自分の浅い意見を話すことは、何となくはばかられ、役割分担の際にはせめてもの思いで、手間の多い、面倒な仕事を自ら引き受けるようにしていた。
自分の学年も上がり、大学やサークル、バイトと忙しくする中で、こんな私を好きだと言ってくれる人がサークル内に現れた。私への好意は周りには駄々洩れで、決してお遊びではないことは重々承知していたし、話も合う人だった。
でも、私は自分の立場が気になって、そんな自分も許せなくて、お断りをした。理由を聞かれても、嘘を言うしかできなかった。その後ももう一人、告白してくれた人がいたが、同じ理由で断った。もちろん、本当の理由は言えなかった。
社会人になって、年の近い先輩に「女子大の奴は嫌いだ」と言われたことがある。本人は冗談だと言いながら、聞いてもいないのに、その理由を述べ始めた。
女子大の近くには、必ずといっていいほど、偏差値の高い共学の大学がある。自分がその大学へ入れるほどの学力がないから、インカレのサークルがある女子大に入って、将来有望な男を捕まえるのだと語った。こんなにはっきりと口にされたのは初めてだったが、そう感じている人が一定数いることは私も理解していた。
再び私は、女子大を選んだ理由を考えた。それらしい答えをいくつか考えてみた。女の子の友達が欲しかっただとか、女性ならではの見方を磨いて一線で活躍したいだとか、男性が苦手だから勉強に集中できる環境が良かった等。
正直言うとつまらないが、自分が合格した中で一番、偏差値が高かったというのが、一番本当っぽい。ここで私は、女であることのメリットの一つを消費したに過ぎない。
そもそも、「なんで女子大にしたの?」という質問が出てくるのか。今思えば、ただの興味本位や世間話程度だと思える。この質問に過敏に反応してしまうのは、私自身が一部の偏見に左右され、気にしていることの表れだ。思えば、女子大で良かったこともたくさんあった。協調性は高いのに、みんな好きなように振る舞い、個性が光る環境だった。
もう完全に吹っ切れたといえば、嘘になる。でも、私なりに頑張って就活もして、地方銀行等の一般職の割合が多い中で、全く異なるタイプの今の職場に入社した。毎日楽しいことばかりではないけれど、私の役目や肩書はまた一つ増えた。
今では、その手の質問にも、簡単に答えられるようになった。自分の全てをその答えに乗せなくても良いと思えるからだ。少し嘘を交えても良いと思うし、勘違いされても構わない。
今でも私は、同じ大学やバイトの友達、もちろんサークルの人とも連絡を取っているし、定期的に集まっている。これからも、この関係は大切にしていきたいと思う。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。