私を表す、昔からよく言われる言葉たち。「穏やか」「のんびり」「癒し系」この類の言葉で、表現されることがほとんどだ。自分では私のどこを見て癒されるのか心底理解し難いが、こう言われてそう悪い気はしない。

社会人に前にもっと動けるようにならなければと思い、バイトを始めた

実際、人にきつく当たることもほとんどない(と思っている)し、競争意識もあまりないから、こうした言葉は私の特徴を的確に言い得ているのかもしれない。しかし、捉え方によっては、“ボーっとしてやる気のなさそうな人”に見えているともいえるだろう。物は言いようだ。良い風に伝えてくれた周りの人達には、この場を借りて御礼申し上げたい。

ボーッとしてるように見られているであろうことは、昔から自覚もしていた。だからこそ、
社会人となる前にもっとテキパキ・シャッキリ動けるようにならなければと思い、大学生のとき私は某牛丼屋でバイトを始めた。

某牛丼屋の仕事は、これまでの私の人生で味わったことのないほど目まぐるしいものだった。昼間の飲食店は、戦場だ。同時並行的に色々な作業をやる必要がある。手を動かしつつ、お客様の動向に合わせて大声で「いらっしゃいませ!」「ご注文はお決まりでしょうか!」「ありがとうございました!」等と言わなければならない。

元々要領も悪く声も通らない私は、それはそれは苦労した。それに加え、勤め先の店長はバリバリの体育会系であり、怒りの沸点も異常に低い人だった。そんな店長だったため、店長とシフトが被った時には、毎度何かしらにつけて怒鳴られていた(毎回だったため怒鳴られていた理由はもはや覚えていない)。多分「声が小さい」「もっと速く」とか、そんな理由だったのだろう。辛く悔しい気持ちが強かったが、ここで辞めたら負けだと思い踏ん張って働いていた。

社会人になり経験を重ねてきたが、私の根っこのは昔と変わっていない

怒鳴られまくりのバイト生活だったが、そのうち朝の2時間は私1人で店を任されるようになった。ただ単に人手不足だったこともあるが、多少は信頼してもらえたのだろう。そう思うと少し嬉しかったが、相変わらず店長に会うと怒鳴られる日々は続いた。

9ヶ月ほど働いた頃、学業やサークルが忙しくなったため店長に辞意を伝えると、いつもあんなに怒鳴っていた店長から「お前は真面目だし、言ったことはちゃんと勉強してるし、期待しているんだけど」等と話をされた。そう評してくれてるなら、もっと早く言ってくれよ。内心「今さら何を言うか」と鼻で笑い、私は予定通りバイトを辞めた。

9ヶ月間、異世界に飛び込んで働いてみたが、結果的に私は相変わらずのんびりのままだった。そう劇的に人が変わることはなかったのだ。

社会人になり、某牛丼屋でのバイト以上に色々な経験を重ねてきた。経験則的に場面に適した行動・選択はなんとなく出来るようになったが、私の根っこの部分は昔と変わっていないと感じている。

私ののんびりしている性格は、マイナスな面だけではなかったのだ!

つい最近も退職した先輩から「のほほんとしてて安心感をもらえます」との言葉をもらった。のんびりしている性格は、働く上でマイナスだと思っていたが、知らず知らずのうちに安心感を与えていたとは。私ののんびりは、マイナスだけではなかったのだ!

これまではマイナスだと捉えている部分を、いかに改善するかという考え方に基づいて行動していたが、良さとして活かす方向で考えた方が幸せなのではないか。バイトの経験や先輩からの言葉を受けて、最近はそう思うようになった。

周囲からの見られ方を素直に受け止めることで、自分の活かし方がわかるのだろう。自分のことは自分が1番わかっているつもりだったが、外からしか見えない部分も案外多いのだ。

周囲の声を聞きすぎる必要もなければ、自分を変えるために変に肩肘を張って生きる必要もない。私自身が私自身をうまく乗りこなせるか否かが、今後の人生のカギとなってくるのだろうと予感している。