心の中でつっかえる音がする。「出身どこ?」の話題が苦手だった
「出身どこ?」
大学生の時、この何気ない質問に少し困っていた。
多くの人はこの質問にすっと答える。
でも、私は一瞬心の中で何かがつっかえるような音を聞いてから、答えていた。
「〇〇って言葉は方言でなんていう?」
「えーなにそれ!」
「じゃぁ、あのコンビニはなんて略して呼ぶ?」
そう、そうなのだ。
大体、この後の話は、方言や食の違い、地方による性格の傾向の話などになり、その場にいる人が出身地別に分けられる。
みんながその都道府県の代表かのように熱を持って語り、まるで全国大会のような雰囲気になる。
その当時の私は、その場に堂々とした気持ちでいられなかった。
そして、こういった話も苦手だった。
「地元に帰りたいな」
「やっぱり地元が一番だ」
そうとも思わなかったので、相槌とも言えないよくわからない返しをしていたと思う。
私は、みんなほど熱量を持って、その場にいられない居心地の悪さというか、疎外感と違和感のようなものを感じていた。
愛を持って地元の良さを熱く語る人を見ると、まるで自分が冷たい人かのように思えてなんだか嫌だった。
感じる違和感の正体。なぜ人は生まれ育った場所にこだわるのか
疎外感の正体は、きっと私がこんな育ちだからだ。
私の両親の出身地はそれぞれ異なるが、我が家の言葉は関西弁、食事は関西風の味付けであった。
そして、転勤族であったため、私が幼少期から思春期を過ごした場所は、家族の誰も縁もゆかりもない場所だった。
小さい時の私の適応力はすごいもので、一瞬にしてこの地では、家族と普段喋っている話し方では変だと言われることに気がつき、その地の方言を使いこなして話すようになった。
周囲に染まっていき、変な目で見られない安心感を得た。
すぐに得られた安心感ではあったが、みんなが堂々と言う出身地や地元とは何かが違う気がした。
みんなが言うそれには、無防備な状態でも温かく包み混まれるような、そんなもののように思えた。
そして、違和感の正体は、なぜ人は自分が生まれ育った場所にそんなにこだわるのかという疑問からだと思う。
社会人になると、自分を表す一番のタグはどんな業界で働いているかや職種になる。
でも、学生の時に共通して話すことができる一番わかりやすいタグは出身地だったのだろう。そのため、学生のときはそのトピックがよく話題として出ていたのかなと推察する。
当時の一番のタグに対して、どのタグもしっくりこない自分はなんだか、除け者にされた気がしてすごく嫌だったのかもしれない。自分は何者でもないと言われているようで。
そういった意味でも疎外感を感じていたのかもしれない。
ここまでいろいろと書いたが、自分が育ってきた場所が好きではないというと、そういったことでもない。
私が育った場所には、緑や海があり人も言葉もとても大好きだ。大切な思い出もたくさんある。
よくばりな私は、帰りたいと思える場所を一つに選ぶことはできない
まだ四半世紀ほどしか生きていない私の人生を振り返ると、進学や就職など、何か環境を変える機会がある時には、思い切って変えていた。
海外へ行くときは、観光という目的だけではなく、ボランティアや留学、インターンなど何かその地に深く関われることや貢献できることも踏まえるようにしている。
滞在する日数は、可能な範囲で長くして、その地に「いつもの場所」や「日常の一部」と感じられる場所を見つけようとする。
ここまで書いてわかったこと。それは、私は、育ちや幼少期の経験云々ではなく、安心感を感じる大切な場所をたくさん作りたいと、心の底から願ってやまない人種なのだということ。
よくばりな私は、愛してやまない、そして帰りたいと思える場所を一つに選ぶことはできない。
私が育った場所も、大学へ通った場所も、働いていた場所も、留学のために訪れた場所も、出会った人や言葉、文化、そこで得られた経験全てがかけがえのないもので、全てが愛おしいのだ。
そしてこれからも、私はこういった気持ちでたくさんのところを訪れたいと思う。
あの時の疎外感や違和感をちゃんと自分の中で咀嚼できるようになったこれからは、「出身は?」という質問には堂々と答え、「でもね、あの場所もこの場所も素敵なんだ!」と私の大好きな場所の話を熱く語りたいと思う。