今年も暖かな夏の季節を迎えた。私は毎年この季節が巡ってくる度に懐かしさにも似た、どこかもの悲しい感情に苛まれる。

小川を見て過ごした夏。風と共に流れる優美なその姿

私は愛媛県の東温市というところに生まれた。
母方の祖父の家のすぐ隣には、ナズナやヤナギタデなどの美しい植物に囲まれた、ちょうど両腕をのばしたくらいの川筋の小川が流れていた。決まって夏休みに祖父母の家に帰省するので、私はその小川を『夏小川』と呼んでいた。

私が幼いころには、夏の日差しがまだ強くない朝方から、すっかり日も落ちてしまうまでのほとんど一日中、夏小川を見ていた。そして、その夏小川と共に暮らす人々を見ていた。
その人々は自然の尊さをしっかりと感じ取り、自然の豊かさに感謝し、自然と一緒に生きていた。
一日中とは言っても、真夏の昼すぎには日差しも強い。そんな時、私は決まって夏小川を通り過ぎたところにある、日陰の多い雑木林に出かけた。

夏小川のすっかり焼けた小石などを踏みながら。
布切れを擦り合わせるような音で流れる夏小川の音を聞きながら。
どことなく、柔らかな、干したての掛け布団のように優しい匂いを嗅ぎながら。
乾いた風と共に流れる優美なその姿を、見つめながら。
私は夏小川に、果てしないゆかしさを感じていた。

私はどうしてあんなにも夏小川に圧倒されていたのか

また、ゆかしさと共に、心の疼くような寂寞を感じてもいた。
なぜだろうか、生きているように自由に流れる夏小川に、私は圧倒されていたのである。
私はどうしてあんなにも夏小川に圧倒されていたのか。
どうしてあんなにもゆかしさと寂寞を感じていたのか。
そしてどうしてあんなにも夏小川を、いや、夏を愛していたのか。

それは、27歳になった今でも分からない。ただひとつだけ言えることは、なぜか私は、夏小川を見るたびに故郷の土を踏みしめるような、柔らかな懐かしさを感じたということだ。
つまり私は、夏小川があって初めて、自分の持っている本当の純な気持ちを知ることができたということだ。

しかしそれからしばらく経って、夏の小川の流れが絶えたことを聞いた。もう私が高校生になって、夏小川のことなどすっかり忘れていたころであった。祖父の話すところでは、道路の拡張工事で流れをせき止めて、埋め立てられたのだということだった。
夏小川の絶えた今、周りに生きるくさばなや木、それを取り巻く空気が廃れるのは時間の問題だった。夏小川はその周りの総てのものと共に落ち合っていたからだ。

総てのものはみな、それぞれに匂いを持っている。夏小川の匂いは、その周りの空気の匂いであり、花の匂いであり、草木の匂いであり、太陽の匂いでないといけない。
もし、私にふるさとの匂いを問う人がいたのなら、私は間違いなく夏小川の匂いと答えるだろう。私は夏小川があるがゆえにふるさとを、夏を愛する。そして、夏があるがゆえに生きる。

夏が来ると、夏小川の澄んだ水色と誠実な輝きを思い出す

夏小川と共に生きる総てのものは、私にとってみな忘れがたい財産だ。ゆっくりと流れる夏小川は人々の耳に懐かしい響きを与えつづけた。
ああ、夏小川の懐かしさ、心をもってゆっくり歩くように流れるその音は、昼も夜も同じように両側の小石を洗いつづけた。

今は跡形もなく埋められてしまっているが、私は今でも夏が来るとふと、夏小川の澄んだ水色が太陽のまばゆい金色を反射して、まるで青銅のような、重厚な、誠実な輝きを見せていたのを思い出す。
水というものは、始まるところを知らずおわるところを知らない、『永遠』の不思議なものだ。今日もその青い水は流れている。自然と人々が落ち合って、いつの間にか共に生きていたその水の色の暖かさは、簡単に消えゆくものではない。

しかし、その場所にしかない水の匂いは簡単に消えてしまう。ひと夏の過ぎ去るように、実に、あっけなく消えてしまう。
だから私はこの季節が巡ってくる度に懐かしさにも似た、どこかもの悲しい感情に苛まれる。夏の水の匂いが消えてしまうのが、怖いから。