一人で外食をすること、これは私が元気でいるための大きな要素だ。
元々、一人でいる時間が好きなので、その時間は欠かせない。
一人というのであれば、家で一人で食事をするのも同じではないか、という声も聞こえてきそうだが、そうではない。外食という所がポイントだ。
コロナ禍になってから、以前よりも一人で外食をする機会が増えた。
一人○○、という言葉は結構あるが、その中でもなぜ食事なのか。そして、なぜ外食なのか。
食べたいものを自分のペースで食べられるのはエネルギーチャージになる
簡単に言うと、何も考えなくていい、という気楽さにある。その気楽さゆえに、無駄な労力を使うことなく、むしろ美味しいものを食べて、エネルギーをチャージすることが出来る。
そもそも私は食べるということが好きなのだが、一人で食事をすると、食事そのものに集中が出来るのだ。もちろん、友達と会って会話をしながらする食事も楽しい。でも、食事にはあまり集中出来ない。どちらかといえば、目の前の友達との会話に集中するからだ。
また、話すことと食べることは同時には出来ない。話すか、食べるか、そのどちらかだ。
一人の時は、食事と私、ただそれだけが存在する空間になる。その二つを邪魔するものがない。
食べたいものを食べたい時に、口にすることが出来る。自分のペースで食べることが出来る。誰も私に何も言ってこない。相手からどう見えているのか気にする必要もない。マナーはどう、とか食べるスピードとか、食べ方とかそういった色々。相手が異性や目上の方であれば、気を遣ったりだとか。
一人外食には面倒くさいことがないし、自炊のハードルだって感じない
そういう面倒くさいものが一人の時には何もない。全部私が決められる。食べるものも、スピードも、なにもかも。気楽だ。
そして、もう一つは外食である理由だ。外食というのも、また重要なポイントである。外食というと値段が高い、というイメージが一般的にある気がするが、よく考えるとそんなことはない、と思うようになった。
自炊をすると、様々なハードルがあることに気づく。
自炊はまず、何を作るか考える所から始まる。そうしなければ、買い出しにすら行けないからだ。
スーパーに材料を買いに行けば、今度は選択の連続だ。安さや量で選ぶのか、はたまた質か。数日のスパンでレシピや予定を考える必要がある。頭を使わなくてはいけない。
材料を買って家に到着して、やっとスタート地点に立てる。調理をして、完成。時間をかけて作ったわりに、あっという間に食べ終わる。
最後に待っているのは食器洗いだ。ここまでして、やっと自炊が終わるのだ。長い旅路だ。
では、外食はどうか。食べたいものを考える。もしくは頭の中に思い浮かんでいる。それらがあるお店に行く。
食事に向き合うための最高の環境が、一人外食には全て揃ってる
メニューを見るだけで、心が躍る。美味しそうな料理に、ページを繰る手が止まらない。たくさんの選択肢に悩みながら、今自分が一番食べたいものを選ぶ。
注文したら、後は料理が来るのを待つ。その時間すら楽しい。早く来ないかな、あれが頼んだやつかな、と店員さんに熱い視線を送る。
そして、お待ちかねの料理が目の前に届く。後は食べるだけ。食べ終えたお皿はテーブルの上に置いたままでいい。良い気分のまま、家路に着く。幸せな気持ちだけが残る。お金で買える、身近な幸せだ。
全然違う。あまりにも違いすぎる。自炊の面倒な過程を全てスキップ出来ると考えたら、外食の値段は高くはないと思える。
食事に向き合うための最高の環境が、一人外食には全て揃っている。だから私にはこの時間が必要だ。何も考えずに、ただ美味しいものを純粋に、無心で味わう時間が。幸せを一人占めする時間が。
美味しいものを食べている時は、なんでも忘れられる。他の余計なことを考える余地がない。目の前の料理のことが、その美味しさが頭の中にある。
今日もまた、一人でファミレスに行ってきた。
日曜日の正午、周りはカップルや家族連ればかり。でも、私は気にしない。
それが私の、元気の源だから。