灯火。
受け継がれたもの。
技術、燃料、想いなどを受け取って私たちは常に最先端の今を走っている。
そのなかで私は演劇という小さな小さな火を受け取った。
吹いて消えてしまいそうな火だ。
そんな小さな火を受け継いだ話をこれからしようと思う。

「もっと理解したい」初めて見た演劇で感じた役として生きる切実さ

私が初めて演劇に出会ったのは、人気ソーシャルゲームが原作の2.5次元演劇と言われる演劇でその時、一番チケットがとりずらいと言われていた公演を見たことからだった。
圧巻だった。
今までの人生ひっくり返っちゃうくらい驚いた。何に?その切実さに。
目の前に役者がいて、その汗、息づかいまで分かる臨場感。

発声する声の圧倒的「生」感。
表情が訴えかける感情同士のぶつかり合い。
そしてなによりも役者がその役として「生きて」いる、そう肌で感じられるほどの切実さだった。

もっと理解したい。
その一心で、私は当時大学生だったため、県内で1番大規模な演劇サークルに入ることにした。
そこで手っ取り早く全部が知れるのが「演出」というセクションだった。

紆余曲折あり、私は青息吐息で演出というポジションを勝ち取った。
演劇には主に7部署がある。演Gと呼ばれる演出や運営を司る部門、役者、音響、照明、大道具、衣装・小道具、制作だ。
その全ての統括をするのが演出というセクションだった。

演劇は1人では作れない。全ての部署が頑張ってたった1つの作品を作る

そこでは私は地獄を見ることになる。
そんな7部署も見てられる人なんていうのは言わば社長だ。
大学3年生の私には社長業は荷が重かった。
しかし、舞台の色々なことが知れた。

スタッフ部門では、このようにすればもっと綺麗になるだとか、もっと臨場感を出せるだとか、単純に技術を教えて貰った。
役者といえば演出が稽古をつける。役者の動線はもちろん役作りの相談にも乗る。役者の苦悩と喜びを少し分けてもらった気持ちになった。私は演出をして過労気味だったが楽しかった。

演劇は1人で作れない。全ての部署の人が一生懸命頑張って、たった1つの演劇作品を作る。その過程を私はなんて美しいんだろうと感嘆した。演劇ほど多くの人間が携わって、たった一つの作品を作るなんてことはないのではないか。

そこで私は一生忘れられない体験をすることになる。それはその公演が終わったあとの事だった。
私はとんでもない喪失感に襲われた。
「これが終わったら私はまた、なんにもないただのひとりぼっちになってしまうのではないか」

その思いだけがグルグルと頭を周り、打ち上げどころではなかった。
深夜、へべれけになった人や演劇論を熱く語る人、何故か泣いてる人などがばっこする打ち上げ会場の隅っこで、私は思い立ったように立ち上がった。

演劇の虜になった私。お客さんからもらった一言が心に火をつけた

死のう。

このまま落ちていく一方なら今幸せなまま死んで、ハッピーエンドを迎えよう。
そう思い駅へ急いだ。
途中母の顔を思い出し、ギリギリのところで引き返してふらふらと歩き出した。
そこで植物園を見つけた。
泣いた。腐葉土を抱いて泣いた。

その後わたしは独立する準備をしていた。
私はサークルだけでは我慢ならず、自分の団体を作ることにしたのだ。
言わば主宰だ。
それにはある確信があった。

演劇にはストレートに体験するという形で感動をダイレクトに心を揺さぶることが出来る。
これはどんな芸術にもできない事だ。
私は古代ギリシャから脈々と受け継がれた演劇という芸術の虜になっていた。

そしてこの一言が私の心に火をつけた。それはお客さんの感想だった。
「亡くなった夫のことがいつも頭の中を占めていました。スーパーに行くにも、娘を迎えに行くにも、新しい彼氏に会う時も。でもあなたの演劇を見ている瞬間。忘れられたんです。そして亡くなった夫との折り合いをつけられたんです。あなたのおかげで助かりました。ありがとうございました」

夏に公演を打つ。きっと演劇には、誰かの人生を救うエネルギーがある

私はひとつの演劇で人の人生を変えてしまうところを見た。
少なくとも演劇には人の人生を変えてしまうようなエネルギーがあると確信した。
人生をかける程があるんじゃないか。
そう願った。

この夏、私は公演を打つことにした。
このコロナ禍でやむ得ず中止になるかもしれない。
お客さんなんて1人も来ないかもしれない。
それでもやる。
演劇は誰かの人生を救うのかもしれないのだから。