「故郷」と聞くと、地方にある両親の実家のイメージがある。
そんなイメージを持っていた幼い頃の私は、「故郷」なんてなかった。
というのも、父方は2世帯住宅だからいつでも会えるし、母方は車で30~40分内にあった為定期的に会いに行っていたので、夏休みに田舎に帰る友達がなんとなく羨ましい気持ちはあった。
完全に田舎があったわけではなかったが、というのも遠い親戚の家は私にとってはゆかりの場所でもなんでもなかったからか、「田舎に行きたい!」という思うことはなかった。
「第二の故郷はここだ」と思える場所は記憶上初めての地方暮らしで
あれから年月が経って、私にとっての「第二の故郷」といえば、、ここだ!と思う出来事が起きた。
小学生の時だった。
とある土地に引っ越すことが決まった。
父の仕事上、転勤が多いため、引っ越すことには驚くことはなかった。
幼かったこともあり、父についていくことしかなかった。
ついていくことには嫌ではなかったが、どこに引っ越すのか父に教えてもらった時には、「え、どこ?ここ??」と驚いた覚えはある。
まだ日本地図を覚えはじめた時でもあったから、余計に驚いた。
記憶上初めての地方暮らし。
市街に向かうバスから見える景色は暗くて、「これからどんな生活になるのだろう」と東京とは違う地方での暮らしに不安を抱いてた。
あの時の景色と気持ちは一生忘れることはないだろう。
次の日、明るくなった社宅周辺と駅を見てとてもがっかりした。
東京と違って何もないことに悲しくなったし、これからの生活に不安を感じた。
久しぶりに住んでいた場所を訪れたとき、当時の記憶を思い出した
いざ、生活がスタートしていくと、新たな友人ができたり休みの日はあちこち出かけていくうちに、少しずつ「楽しい」に変わった。
長く在住することがないので、そろそろ東京に戻るだろうなと思っていた時に戻ることが決まった。
その時は、東京には帰れる嬉しい気持ちはあったけど、同時にどこかさみしい気持ちになった。
東京に戻ってから、何年か経った年。
時間に余裕がとれたので、久しぶりにその場所に訪れる機会があった。
久しぶりに住んでいた社宅や遊んでいた公園に行って、住んでいた当時、一緒に遊んでいた記憶がぶわーっと思い出した。
今はもう駅周辺など開発され、住んでいた社宅等は変わってしまっていたけど、確かに「ここにいた」記憶という”証”がある。
今でも家族ぐるみで仲がいい友人がおり、私が行くたびに迎えてくれる人たちがいることによって、「ここが私の故郷なんだ」と思うようになった。
今では、そこにいくときは「旅行」ではなく「帰省」だと思って向かう。
住んでいた記憶は故郷になる。全国に複数ある大切な私の財産
実は、東京とそこの地以外にも住んでいた場所がある。
そこは生まれてから3年ほどの期間だった為、記憶は薄いが七五三のお参りで訪れた神社や公園などは記憶はある。
そこで改めて思った。
住んでいた「記憶」は、「故郷」になる。
田舎がある友達がうらやましいと思っていた幼い頃の私。
故郷なんてないわけではなかった。
あちこち住んでいたことが、私の故郷だったということに気が付いてよかった。
住んでいた社宅は住んでいた地域は全て取り壊されてしまって形としてはないけれど、学校や公園、そして歩いた道などは残っているし、記憶としても残っている。
思い出を共有できる家族や友人がいる。
「故郷」がないということはない。
もしかしたら、私と同じように住んでいた場所がなくなってしまい、「私には故郷がない」と思ってしまう人がいるかもしれない。
でも、全てがなくなることはないと気づかされた。
一生忘れることがない大切なふるさとが、後から気づく私の故郷。
今はコロナ禍でもあり、中々今は私の故郷に行くことができないのは心苦しいが、少しでも今の状況から世間も変わった時には、すぐにも飛んであの頃の記憶を思い出して懐かしみながら歩いて回りたい。
1つだけではなく、全国複数に「故郷」があるのは、私の大切な財産。