小学生の時に抱いた夢を叶えられる人は、一体、どのくらいいるのだろう。

大学4年生になった私。
ひとり、部屋でベッドに横たわりながら、小学校の卒業アルバムを開く。

『将来の夢の木』のページには、角ばったギャル文字で、「女優」という文字が書かれている。そしてそのすぐ下に、また小さな角ばった文字で私の名前が控えめに書かれてあった。
小学6年生の時の私は、この「将来の夢」を書くかどうか迷った。
当時、誰から言われた訳でもないのに、「そんな叶わない夢書くなんて恥ずかしくないの?」って声が耳の奥に聞こえてきた。

同じページのクラスメイトが書いた将来の夢を指でなぞる。
「先生」「看護師」
うん、これは頑張れば叶いそう。

「パティシエ」「デザイナー」「スタイリスト」
キラキラ系女子。これは叶うかどうかより横文字の質感が大切なんだろうな。
いや、本当になりたかったのかもしれない。

「やりがいがある仕事」「自分に利益をもたらす仕事」
これは、小6にして早くも現実を見ている系。

「世界征服」「大金持ち」
ギャグ系。

「プロ野球選手」「サッカー選手」
将来の夢ランキングで不動の地位を築くスポーツ選手。
果たしてどれくらいの小学6年生が、自分はプロのスポーツ選手になれると本気で信じてこれを書いているのだろう。

偽りなく「女優」と書いたことが私にとっては大切だった

でも今、当時のクラスメイトの夢を見て、叶いそう、叶わなさそうとか、真剣かどうかで笑おうとは思わない。
そこに何かを書いたこと、書こうとしたこと、書かなかった空白の部分が大切なんだと思う。

少なくとも、偽りなく「女優」と書いたことが私にとっては大切なことだった。
幼稚園から小学4年生までバレエを習っていた私は、バレエの技術はそこまでなかったものの、楽屋のごちゃごちゃした感じや、
舞台裏の緊張感、
衣装を着たワクワク感、
メイクをする特別感、
舞台上で照明に当たる高揚感、
発表会後の疲労感と達成感が大好きだった。

小学校を卒業して、中高一貫の学校に入学した私は、演劇部に入部した。
中学生の時、部内のオーディションでキャストが取れなくて、外部の市民劇団に所属したりダンスを習ったりもした。
部活動も高校生になる頃には私は部長になるくらいまで成長したし、コンクールでは演出を務めた作品で県大会まで出場できた。

舞台関係の仕事では食べていけない。でも演劇を諦めきれなくて

でも、プロの役者や、自分よりも演技の上手い後輩を見て、自分は役者として食べていくほどの実力はないなとひしひしと感じた。
それでも舞台を支える仕事がしたい!と思い、舞台照明や音響の働き方や年収を調べた。
しかし当時、富裕層の家庭の子女が集まる学校に通っていた私は、その年収でどうやって生きていくのかと疑問に思い、舞台関係の職に就く夢は消えていった。

そんな風に、高校を卒業したらもう舞台のことを考えるのはやめよう、そう思っていたのに諦めきれなかった私は、大学2年から4年まで昼の大学と並行して、舞台関係の夜間学校に通った。
私はやっぱり、舞台が好きだった。

夜間学校では、ホールの職員さん、プロの美術家さん、叩きの会社に入社する人、高卒や専門学校を出てプロの役者を目指す人など色々な人に出会った。

「役者で食べていきたい」
夜間学校では、よくその言葉を聞く。

良い年してそんなこと言ってバカじゃないの?
世の中そんな甘くないでしょ。って私は心の中で思う。
でも、その反面、自分の夢を臆さず言えて、それを追いかけられる人が羨ましくも眩しくもある。

そして思う。
良い大学に入学して、良い企業に就職して、経済的に豊かに過ごすことが必ずしも「幸せ」な人生ではないのだろう、と。
たとえ安定した収入がなくても、自分の夢を追いかけて、魂から喜びを感じていられたら、それは何よりも幸せなことではないか、と。

目の前にレールがあるから舵を切って続きが見えない道に行くことができない

私は、幼稚園・小学校時代にはバレエを習って、舞台の世界に魅了された。
中学校・高校時代には部活や習い事に熱中した。
大学時代は、やっぱり諦められなくて、本格的に舞台を学びたいという思いから夜間学校で裏方や役者を勉強したり、芸術の盛んな地域に海外留学をしたりもした。

楽しかった。
本当に楽しかった。
もっとやりたいって思う。

でも、だから分かった。だから気づいた。

私は役者を仕事にしては生きていかないということ。
そこまで私は自分の才能を信じて努力することができないということ。
そして私には役者と同じかそれ以上にやりたいことがあるということ。

私は春から、演劇を始めとする文化関連の事業を行う団体に就職する。

舞台が好きで、社会問題にも関心があって、
だから、これが他の誰でもなく私が、できることなんじゃないかと思う。

文化を通して、少しでも人が喜びをもって生きられる社会をつくること。

小学生の時の夢を実現させるのは難しい。
でも、あの時、「女優」と嘘偽りなく書いたからこそ、
自分の「こうありたい」「こうなりたい」「これをしたい」を純粋に追い求めたからこそ、
見えたものがあった。

10年前の将来像とは違うかもしれない。
でも今、私は、春からの生活が楽しみだ。

もしかしたら仕事を始めたら「こんなはずじゃなかったのに。」とか「しんどい。やめたい。」と思うかもしれない。
もしかしたら役者になりたい、という夢だって完全には消えていないのかもしれない。

でもそんな時、自分に問おうと思う。
それで私は、魂から満足して生きられるのか、と。

役者を目指す同期が私に問いかけたように。