私は学校がすごく嫌いだった。特に中学校は最悪だ。
とは言っても、仲のいい友達がいなかったわけでもないし、楽しいことが全くなかったわけでも、特別仲間外れにされていたわけでもなかった。ただ、なんとなく馴染めないような、居心地の悪さを感じていた。

高校一年生の秋心は限界を迎え、二年生から通信制の高校に転校した

学校という特有の狭い空間に、何十人、何百人という人の思いが渦巻いていると思うとそれだけで私の心は疲弊した。
それでも私はみんなと同じように学校生活を送る努力をした。多かれ少なかれ、誰もがそういう努力を陰ながらしているのだろうから。それに加えて、私は完璧主義の見栄っ張りだったから、そういう点では人一倍気を張って生活していたのだと思う。

しかし、高校一年生の秋、私の心は限界を迎えた。突然パーンと弾けて、粉々に砕け散ってしまったのだ。
病院に行くとパニック障害、解離性同一性障害と診断された。そんなこと、誰も想像していなかった。もちろん私も。

それまでなんとか自分を励ましながら普通の学校生活を送ってきたが、気づかないうちに私の心は修復不可能なところまで来てしまっていたのだ。学校に通えなくなった私は二年生から通信制の高校に転校することを決めた。
ここで私は歩みを止めた。こんなところで止まるはずじゃなかったのに。

普通の高校と別世界の通信制高校。学校が好きになるキッカケに

通信制高校は、普通の高校と全く別世界である。
私が転校したところは、高校とは言っても公共の複合施設で、学校らしさはまるでなく、本当に高校の教育を必要としている人のために存在しているようなところだった。だから、下は現役の高校生から、上は70代のおばあちゃんまで驚くほど幅広い世代の人が通っていた。

担任の先生はいるが、クラスというものはなく、週に1回のスクーリングも自分が選択した科目の授業だけ受ける。科目ごとに決められたスクーリング回数と、レポートを合格すれば単位が貰えるという単純明快なシステムだった。

学校に行く日も、行く時間も、帰る時間もすべて自分で決める。
休み時間だからと言って必ず誰かとお喋りをしなくてもいい。
お昼ご飯だからと言って必ず机をくっつけて一緒に食べなくてもいい。
教室を移動するのも、トイレに行くのも、誰に縛られる必要はない。
そんなことができなくてものけ者にされたりなんかしない。
学校という独特の空間に存在する、暗黙のルールだったり、「こうしなきゃいけない」がそこにはなかった。そうしたら、私は途端に学校が好きになった。

たまたま授業で一緒になった人たちと年齢も関係なくお喋りして、何回か顔を合わせているうちに自然と友達になって、偶然会えば同じ授業に行ったり、一緒にご飯を食べたり。
なにかに縛られずに自由でいられることがこんなにも楽なんだ、学校ってこんなに楽しいものなんだと思えた。

家で勉強をしながらのんびり過ごして、週に1回学校に行って、そうしているうちに疲弊しきった私の心は少しずつ修復されていった。

歩みを止めたのではなく、心を自由にする一歩を踏み出せた16歳の私

自由な分、当然自己責任の部分も大きく、自己管理ができないと卒業が難しいともいわれていたが、私はそこでの学びが全く苦ではなかった。通信制に来ている人は、ほとんどみんな何かしらの訳ありなのだが、そんな生徒一人一人に寄り添ってくれる先生たちの存在も大きかった。

そして私は順調に18歳で高校を卒業した。進路はいろいろ迷ったけれど、結局通信制の大学に行くことを選んだ。
21歳になった今、通信大学の勉強をしながらアルバイトをしている。
単発のイベント関係の仕事で、いろんな場所に行って、いろんな人と触れ合って、いろんな仕事をする。新しい何かに触れながら、自由の空気に触れながら生きている今が、私は本当に幸せだ。

あの時、16歳の私は歩みを止めたと思っていた。実際、少し立ち止まったし、本来進む予定だった道からはだいぶそれてしまった。でも、今になって考えてみれば、自分の心を自由にしてあげるための新しい一歩だったのかも知れない。

もしも、あの時立ち止まらずにまっすぐ歩き続けていたなら、私はどんな私を生きていたのか、なんて少し気にならなくもないが、今はただ、16歳の私に「ありがとう。大丈夫だよ」と伝えてあげようと思う。
そうしたら、苦しみの中必死にもがいていたあの日の自分が、耐え抜いた甲斐があると、頑張って生きてきた甲斐があると思ってくれるのではないだろうか。