25歳のときに仕事を辞めた。新卒で入って4年目の職場だった。
あれから3年が経ち、気がつけばその選択が正しかったのかどうかについて考えることもなくなっていた。それだけ、そのときの悩みや迷いから距離をとることができたということなのだろうと思う。しかし思い返してみれば当時は確かに、人生の崖っぷちに私はいた。

30年以上ここで働くと張りきったものの、やりがいが感じられない

私の初めての職場は激務で有名だった。そこにいるだけでエリートとみられるような職場で、優秀な人たちが揃って当たり前のように昼も夜もなく働いていた。
いわゆるやりがい搾取タイプの職場で、その激務ぶりについては覚悟の上で私も就職を決め、就職したからには当然、30年以上はこの職場で働くものと思い、張り切って仕事を始めたのだった。

もしかして選択を誤ったかもしれない、と考え始めたのはそれから1年半ほど後のことで、私は焦った。
仕事にやりがいが感じられない。自分のやりたいことは、どうやらこの場にとどまっていては実現できそうにない。

しかしその気づき以上にショックを受けていたのは、自分が職場に適合できない人間なのではないかということについてで、まさか自分が2年目で仕事を辞めたいと言い出すようなことになるとはまったく想像もしていなかったために、ひどく動揺していた。

私は体力的にも精神的にも非常にタフであると自覚していたし、離職率の高い職場ではあったが自分に限っては無縁のことと考えていた。早期離職は社会性に欠けた人間のすることという偏見を持っていた。

異動先で同僚たちは休職や離職に追い込まれ、残ったのは私だけだった

しかし、やりがい搾取を覚悟して始めた仕事に、やりがいがなければ後に残るのはただの対価に見合わない過重労働で、コンビニ以下の時給で自分は何をやっているのだと考え始めると気持ちが沈んだ。
ところが激務であるが故に猛スピードで日々は流れ、転職を決断できないまま2年が過ぎた。

異動の多い職場であったため、次の部署ではやりがいのある仕事ができるかもしれないという期待も捨てきれなかった。そうこうするうちに二度の異動を経て、それまでと同程度に忙しい、そして困ったことに雰囲気のよくない部署に私は配属された。

怒鳴り声の飛び交う課内で、明らかに処理不可能な量の業務にあたるストレスで、複数の同僚が心身に不調をきたし休職・離職に追い込まれていった。同じ係の同僚が残らずいなくなり、一人取り残された私は周囲の同情を買ったが、かといって人員の補充がされるわけでもなかった。

朝まで働く日々が続き、おそらく私は鬱に近い状態にあったのではないかと思う。毎日職場に通うことが嫌でたまらず吐き気がおさまらず、別に死にたくはないが死んだ方がよっぽど楽だろうと地下鉄のホームでぼんやりと電車を見ながら考えた。
そうして心身の限界が近づいていることを自覚してはじめて、私は転職を決断することができた。

所詮は仕事でも、私にとって辞める選択はそう簡単じゃなかった

一度決めてしまえば転職はあっけないほどスムーズに進み、そこで見つけた新しい仕事を、順風満帆とはいかないが今も続けている。喉元過ぎればなんとやらで、あんなに追い込まれるまでにさっさと辞めてしまえばよかったのにね、という自分もいるが、こうして振り返ってみればやはり、仕事を辞めるということは、少なくとも私にとってはそんなに簡単なことではなかった。

真面目さがときに自分を縛り、追い込んでしまうもので、本当の限界を迎える前にそこから抜け出すことができたのは今思えば幸運だった。
真面目に働くどこかの誰かが、私と同じように追い込まれることがありませんようにと願いながら、この原稿を書いている。

正直、あのときの苦悩がいつか糧になる、とは今も思えておらず、知人から真剣な相談を受けたときには、追い込まれる前にとりあえず転職してみるのも悪くないのではないかと助言することが多い。

ただひとついえるのは、あんな死にたいほどの苦悩も3年後には薄れて、まったく別の悩みで日々は埋め尽くされる、それくらいのものだということだ。
所詮は仕事だ。人生のほんの一部だ。