「私、働くの向いてないな」
そう思ったのは新入社員として働き始めて半年のこと。初めての挫折だった。

どこにでもある田舎の学校で学生生活を過ごし、それなりに優等生だった私は、受験戦争を乗り越えて第一志望の有名私立大学に入学した。そして何の苦労をすることもなく、同じく第一志望の地元大企業に就職した。

「さすがだね」「キャリアウーマンだね」とよく言われた。そんな自分が誇らしかったし、当たり前とさえ思っていた。同期も優秀だったけれど、私なら大丈夫、やっていけるという自信もあった。だって、これまでもそうだったから。
けれど、入社して半年経ってから、私は会社に行けなくなってしまった。

ある日ベッドから起き上がれなくなった私は、適応障害と診断された

配属された部署は会社の中で一番の激務だと有名で、残業や休日出勤も当たり前だった。仕事内容も私が得意とすることと掛け離れ、家には寝に帰るだけの日々だった。
何のために働いているんだろう、と思ったのはそんな生活が四ヶ月続いた頃だった。上司も先輩も多忙を極めていて、自分だけが苦しいわけではないとわかっていたから、たった一人だけ逃げ出すことはどうしてもできなかった。逃げ出すことは「負け」だと思い、優等生のプライドがそれを許さなかった。

だから、いっそ事故にでも遭えば、病気にでもなれば、入院して休めるかもしれないと思うようになった。身体を壊すように意図的に食事を取るのをやめ、時間さえあれば当て所もなく歩いて体力を削った。人間というのは案外丈夫で、それだけでは倒れることはなかったけれど、吐き気と頭痛が毎日続くようになり、次第に「死にたい」と思い始めた。
そして、ある月曜日の朝、ベッドから起き上がれなくなった。

泣きながら上司に電話し、それから会社に行けなくなった。私だけ逃げるなんて出来ない、というプライドはどこかに行ってしまっていた。死にたいとさえ思うと、もう何もかもどうでも良くなっていた。誰にどう思われてもいいから、とにかく会社から離れたかった。病院では適応障害と診断され、数ヶ月の休養が必要だと言われた。私は休みを取り、これまで失った自分の時間を取り戻すように、ひたすら眠り、好きなことをして過ごした。

「自分が楽しいと思えるように仕事をしてください」復帰先の上司に笑顔で言われた

働きたくないという気持ちはあったけれど、休職期間には限りがあり、程なくして私は職場に復帰した。入社一年目だった私には実績も資格もなく、先行き不透明な「退職」という選択肢には不安があり、元の会社に戻るしかなかった。会社側からも職場環境の改善が提案され、私は新しい部署に異動することになった。

けれど、異動先の新しい上司は厳しいことで有名な人だった。この上司の元で働いた部下が、何人も休職に追い込まれたと言い、周りからは「復帰したばかりなのに大変だね」と声をかけられた。
また「死にたい」と思うかもしれない。もし続けられなかったら、今度こそ会社を辞めよう、と思っていた。不安でいっぱいだった私に、その上司は笑顔でこう言った。
「自分が楽しいと思えるように仕事をしてください」

会社のために働け、社会に貢献しろ、と言われ続け、自分を犠牲にしてがむしゃらに働いていた私にとって、頭を殴られたような衝撃だった。

上司は続けた。
「やりたくない、苦手だと思う仕事はたくさんあるし、どうしてもやらないといけないこともある。でも、それらをどうしたら自分が楽しくできるかを考えて、工夫してほしい。そのためなら、どんな手助けもします。責任もとります。会社のために働くなんて馬鹿げている。そんなのは綺麗事で、結局みんな、自分のために働いている。自分が楽しくなかったら仕事をしている意味なんてない」

楽しくなるように働いたら、仕事をやらされていた時には味わえなかった達成感を感じた

それから、私は頑張るのをやめた。
嫌な仕事はたくさんあった。でも、自分はこれが嫌なんだ、苦手なんだと認め、上司や先輩に助けを求めたら、乗り越えることができた。人に甘えることはかっこ悪いことではないと知った。苦手だと思っていた仕事を何度もやっていくと、だんだんそれが評価され、いつのまにか得意になっていた。

自分が一番楽しく、楽になるように働いた結果、多少きつい仕事でも気持ちは明るかった。終わった後の達成感は、仕事を「やらされていた」時には味わえないものだった。
この上司の元では、異動するまで三年働いた。厳しい人だと思ったことはあったけど、理不尽な指示は絶対無かったし、上司もなお、自分や部下がどうしたら楽しく働けるかを考え続けていて、それらを追求した結果の厳しさだったのだと知った。
厳しいせいで敬遠されていた上司は、私にとって最も気の合う、尊敬できる上司になっていた。

仕事に行き詰まった時、上司は必ず私にこう声をかけた。
「今、楽しい?」
別の部署で働いている今、私は自分自身に同じ言葉を問いかける。

私は、自分が楽しむために働いている。