いつもぼんやり生きてきた訳じゃない。やると決めたことには一生懸命突き進む姿勢を忘れずに、営業職として誰かのマイナス思考も持ち前の反骨精神でプラス思考に変えてきた。

会社を辞める理由によく人間関係の問題が挙がりがちだが、新卒で入った職場ではとんでもなくいい人たちに巡り会えた。今の時代、会社に骨を埋めるまでの思考は持ち合わせていなかったのだが、この方たちと働けることが幸せであり、どんな雑務や試練も背負って当たり前の生活を送っていた。
尊敬出来る先輩がいて、自分の働きできちんと給料が貰える日々に心底納得していた。

誰もが達成し得なかったノルマを達成。マネージャーから称賛された

ただ、一心に突っ走ってしまう性質を持つ自分には、月日が経ち積もりゆく責任や期待に応えようとする力だけが1人歩きするようだった。

営業成績は1日単位のノルマがあり、他の誰もが達成し得なかったものを2週間、1日も転けることなく駆け抜けた。マネージャーからは称賛され、本来ならさぞ気分が良い御身分だろうが実際はそうではなかった。その期間、ずっと他人からの称賛が自分の明日への恐怖にすり替えられていた。

「〇〇は達成できてるからいいじゃん」
(今日はなんとか達成出来たが、明日は分からない……)

「おおっ〇〇、よくやったな!」
(今日だけのまぐれだと思われたくない……)

実際、その2週間より前にノルマを達成できた経験がないからだ。それでも生真面目に頑張って来た事実を証明させたかった。

頂点から落下していく自分。頑張っても、なんの幸せも訪れなかった

ここまで自分を鼓舞し、追い込んでいた裏には、「やりたいことは頑張った人の特権」だと思い込んで疑わなかったエピソードが隠されている。

元々デザイナーとして入りたかった企業で、それとはかけ離れた営業部に配属された。デザイナー職など外大卒が願って叶うことではないと、大学4年の就職活動中に十分わかったことだ。それでも、ようやく手に入れた広告会社の切符だからこそ、ゆくゆく見据えているデザイナー職に向けて、自分にしか得られない経験を積もうと努力していたのだ。

結果を追い求め掴んだ努力の結晶は、光の2週間ののち燃え尽きていった。周囲からの期待の視線を保ったまま、自分でも頂点から落下していく速度を感じていた。

ノルマを達成していた華のように聞こえるあの2週間にも、毎朝オフィスのトイレで泣き崩れてから出社していた。落下していく毎日も結果を残せない不安から、パソコンの前で震えて止まらなくなった。頑張って結果を残しても、頑張っても結果を残せないでいても、自分にはなんの幸せも訪れなかった。

かといって、誰のせいでもなく、とにかく苦しい。でもとにかく先輩のように頑張りたい一心だったことが自分を狂わせていたのかもしれない。
医者からの精神疾患の診断には驚きを覚えたが、少しだけ安堵した自分もいた。

頑張りすぎた心からのSOS。全力で打ち込んだから自分と向き合えた

頑張ったが故に、頑張りすぎて精神が壊されることもある。しかし、心からのSOSがあったから立ち止まれたことに今は感謝していたりもする。

その仕事を辞め、本来やりたかったデザインの専門学校に通うことを両親にもう一度きちんと話すことができた。何より、打ち込んだらとことん一人でやろうとする自分が、家族に頼ることを覚えるきっかけとなった。家族が支えてくれて改めて愛を感じた。

また、全力で打ち込んだから自分の適職と向き合えたことに、今ではこの経験を経た自分に誇りを持っている。
これからのデザイナーへの道を応援してくれている人々に恩返しするため、一日一日を大切に専門学校で学びを深めている。