私が歩みを止めたとき、それはまだ風の冷たい、3月の終わりだった。
別れと出会いが入り混じる春はもうすぐそこで、心なしかすれ違う人々の忙しそうな顔が眩しく見えた。
そう、この時すでに私は適応障害だった。

ぎりぎりで踏ん張っていたけど心は限界を迎え、極限状態に

1年前に新卒として入社した会社で、毎日右も左もわからないまま、ただがむしゃらに走ってきた。
知らない土地で、知らない人たちと過ごし、ようやく人間関係も安定して色々と覚え始めた矢先、異動を言い渡されたのは12月だった。
その時はまだ、次の新しい「故郷」をどこか待ち遠しく思い、希望に満たされていたように思う。

「いってらっしゃい」と送り出されたおよそ2ヵ月半後、私の心は限界を迎えてしまった。毎日ぎりぎりのところで踏ん張っていたものが、まるでずっと液体が入っていた紙コップのように、ふやけてしまった。
人は極限状態になると、本当に何でもない瞬間に涙が出てしまうのだと、初めて知った。
何を見ても笑えなくて、感動もできない。好きだったアニメや動画を見る時間すら、ただ静けさを埋めるためのものでしかなくなった。
そのくせ、眠れない。お腹もすかない。きれいな景色を見ても、すべてが色あせて見えてしまった。
「これくらいみんな我慢している」
「自分だけじゃない」
そう言い聞かせて、耐え続けていた。
でも、2時間もぐるぐると怒られ続けられ、自分がそれまでに培ってきた経験や、女であることや、誰かの恋人で記念日を大切にすることすらも否定されて。
私はそんなに酷いことをしただろうか。
何もできない人間なのだろうか。
私は、いるべきではないのかもしれない。
私には、生きている価値なんてないんだ。

無理をしなくなった日から、罪悪感も一緒に住まうことになった

「もうやめよう」
その日から、私は無理をしなくなった。
そしてその日から、罪悪感も一緒に住まうことになった。
それまであれほど逃げたくて仕方なかったのに、いざ逃げると、行かなければならないのではないか、と無意識に出かける準備をした。
浅い眠りしかできないのに、夢で追い掛け回されて叫びながら起きることがほとんどになった。
誰かのせいにしていることが、信じられないほどに苦しかった。
1人でいられないから、実家に帰ってみたり、親戚の家や友達、恋人の家にいることがほとんどだった。
そうしていないと、何も感じない、無の空間に1人でいなければならなかった。

そうこうしているうちに時間が流れ、次の居場所が決まり、あれほど好きだった場所を離れることになった。
最後まで、「戻りたい」と思うことも、「つらかったのは私のせいじゃない」と思うこともできなかった。それがまた余計に私を悲しくさせた。

新しい場所を見つけ幸せな今も、自分を肯定できず止まったまま

今、私は新しい場所で、過去を理解して先へと導いてくれる人たちに囲まれて、本当に幸せに過ごしている。
「できない」と思うことがあっても、また頑張ろうと思えるようなかけがえのない家だ。
それでも、未だに私は止まったままだ。
自分で自分のことを肯定できず、引きずり続けている。

いつか、あんなこともあったなと笑える日が来るように。
そして、できるだけ誰もこんな悲しくて辛い思いをしないでいいように。
そんなことをぼんやり考えながら、私は今日も少しずつ、失ってしまった日常に色を添えていく。