好んで読もうとしなかったエッセイ。内容に興味を持ち手に取った

年の始めに、父の長年の友人である女性エッセイストさんの作品を読んだ。
新刊が出る度、発売前に必ず父のもとに送ってくれていたようで(知らなかった)、今回の作品の題材を一目見て「読みたい!」と思い、手に取った数時間後には読破していた。
本を一気読みしたのは久しぶりだった。読書はもともと好きだったのだが、まとまった落ち着いた時間がないと集中して読む気になれず、社会人になってからは連休のような時でないと向き合う気になれずにいた。少々活字不足だったのだろう。

これまでエッセイを好んで読もうと思ったことがなかったのだが、その新刊は自分の仕事に関係している「子育て」についての内容だったこともあり、自然と手に取っていた。半分勉強のつもりで読み始めたら、とんでもなかった。私の好奇心をあっという間にさらい、家族が寝静まった後も読み進めた。

ページをめくる手を止めるという選択肢がその時だけはどこかにいってしまったようだ。彼女のこれまで学んできたこと、実際の子育て、恩師との交流などが、刹那的な描写でいきいきと表現されていて、リアルタイムでその場面を見ているような錯覚になった。

いうなれば、入ってきやすい表現、といったところだろうか。回りくどい表現や難しい言葉を並べる書き方の人もいるが、彼女は読者にとても近い立ち位置のように思えた。その距離感が心地よくて、読むことを飽きさせなかったのかもしれない。

父の友人の作品を読破。感想を伝えると、本人に連絡を取ってくれ…

読み終えた翌日、興奮が冷めぬうちに父に「面白かった!」と言うと、父は早速本人に連絡をとってくれた。すると、ホイっと電話を渡された。
「え?話せと?」
展開が早すぎて正直戸惑った。自分なりに、でも拙い言葉で感動を伝えると、「今難しいけど、ぜひ遊びに来て。よかったら手紙を書いてください」と、返してくれた。

なんて書こうか……そう思ったが、自分の気持ちを文字に起こすなんて久しぶり過ぎたので、少し練習がてら何か書こうと思った。
そこで出会ったのが「かかみよかかみ」だったのだ。物事がマッチするとトントン拍子に進むとというがまさにそうだった。
春に仕事を辞めたのでまとまった時間ができ、自分が書けそうな題材を選び、初夏頃から書き始めてみた。

エッセイは楽しいことばかり書かない。だからこそ、面白いとも思った

「そうだ、私は書くことが好きだった」
次第に、言葉を選びながら文章を組み立てる楽しさを思い出した。中学生時代に物語を書いたことはあったが、完成に至ったものはなかった。書くことは楽しかったが、複数人の心理描写や、言動を書くのが当時の私には難しく、成しえなかったのだ。

一方、エッセイは自分の感情をメインに書くので、自問自答しながらの作業。つまり、自分の事を書けばいい。題材によっては過去の苦い記憶を呼び起こす要因にもなるから、私はそことの線引きも慎重になった。一歩間違えればフラッシュバックを起こしかねない。書いていくうちにマイナスな内容満載に……なんてことも。
エッセイは楽しいことばかりは書かないし、それだけでは成り立たない。でも、そこが面白いとも思った。

もしかしたら、エッセイは過去の日記のようなものなのかもしれない。
日記はその日にあった出来事と抱いた感情を綴るものだが、エッセイは過去の記憶と感情を探しながら、あるいは時間を置いたことで変化した見解や感情を記していく。書く本数を重ねていくうちに、憑き物が落ちたような、頭の中がすっきりとした感覚がどんどん増していった。

言葉でアウトプットすることは、自分の内面を整理するようだ

人は苦い、辛い記憶の方が残りやすいと言われているが、私は書き始めるとどうしてもネガティブな内容に傾いてしまう。でも、それでもいいから、自分と向き合いながら、ちゃんと言葉でアウトプットすることで内側の整理をすることができるようだ。普段の生活の中ではインプットとアウトプットのバランスを取るのが苦手だったが、こんな簡単に自分の中を整理する手段があったことに驚いた。

書き終えた後にはどんなに短くても一つの物語を書き終えたような気分で、未熟ながらも作品を仕上げる度に達成感を得られた。

数本投稿してから、誰かに評価してほしいと思うようになった。するとタイミングよく、久しぶりに高校時代の友人と会うことになり、近状を語り始めたらなんと物書きの活動をしているとのこと。自然とお互いの作品を評価し合う関係になった。

友人の専門は小説だったが、なかなか面白く読みやすい作品を書いていた。彼女は学生時代によく本を読んでいた印象が強かったが、卒業してから十年近く経過した現在に、自ら書くことを選んでいたとは驚き半分納得もしていた。私とは何かと共通点が多く、感性も似ているとは当時からなんとなく思ってもいたので、ここで再会したのは必然だったのかもしれない。

彼女は数年前から物書きの活動をしていたので文章力のレベルはもちろん私よりも上だったが、私の拙い作品に対して「エッセイに向いている」と評価してくれ、感情表現も上手いと言ってくれた。

よく「語彙力がない」と表現するSNS投稿者を目にするが、私もそこに今苦しんでいる。自分がこれまで得てきた言葉、使いこなしていた範囲の表現だけでは物足らないことがあり、文章の広がりと深みがなかなか出せない。エッセイだとしても、書くこと自体の勉強もしていかなくては、と最近よく考えるようになった。

そういえば、投稿作品だけでもそろそろ十作以上になる。もう少し、本数を書いたら件のエッセイストさんに手紙を書こう。「あなたのおかげで私も今、文字を綴ってます」と。