私は1ヶ月程前にかがみよかがみと出会ってから、日々配信される様々なエッセイを読んできた。このサイトは「コンプレックス」という大きなテーマはあるものの、各文章の中で膨らまされたエピソードのジャンルは、筆者によりけり。それぞれのエッセイで全く毛色が異なる。

「この筆者さん、一体どんな人が書いてるんだろう」という疑問

自分か?と思うような体験談や、それまで考えたこともなかった社会問題など、幅広い話題に一気に触れられて、主婦には若干刺激が強すぎる程。

文体にも各々筆者の個性が出ている。カッチリとした社説のような文章から、友達からのLINEの如くフランクに寄り添う言葉達。構成も、理路整然としていたり、言葉の泡を浮かべた散文に近いものだったり。とにかく様々だ。

18歳~29歳女性という枠組みの中に入る人々によって投稿され、日々降り積もっていくエッセイ達。私は毎朝7時に配信されるそれらの文章を読み、ほうほうと頷いたり、それそれェと膝を打ったりしている。かがみよかがみはもはや私にとっては新聞の様に、触れて考えるメディアとなっている。

そして、時折思うことがある。それは「この筆者さんのエッセイ、結構な数読ませてもらったけど、一体どんな人が書いてるんだろう」という疑問だ。

リアルな生活で起こる様々なトピックに対しての「あとがき」

私自身もかがみよかがみで、今までにいくつかのエッセイを配信して頂いた。私のエッセイの文体は、かなりフレンドリー。というか、乱れている。良く言えば、色んな語調のミックススタイル。すぐに(心の声)が出てしまうし、びっくりマークも多用しがち!!!繊細に胸の内を紡ぎ出すというよりは、日頃考えている由無し言を、そこはかとなく書き綴っているだけ(と言うとなんだか風流っぽい)。

でも私はそういうのが好きだから、自分の文章もそんな感じになっているのかなぁと思う。私は、文学作品の「あとがき」が大好きなのだが、エッセイってちょっと、「あとがき」に似ている気がする。

「あとがき」ってすごい。例え本編で善人を残忍に切り刻む様な、おぞましい猟奇殺人鬼を描こうとも、「あとがき」の貢では何事もなかったかの様なケロッとした顔で「最近モンブランにハマってまして。店で絞ってもらうんですけど」とか言えたりする。それほどに「あとがき」は、筆者の本業の内容とは切り離されているということだ。

さらに言うと、漫画のカバーの折りっ返した所に載っている「作者の一言」なんかはもっとすごい。たった5行、時には1行で、近況を語っていたりする。それも、飼い猫についての写真を添えたほっこり系だったり、完全にボケに走っていて一部の読者にしか伝わらない鋭さだったり。

「そんなことはいいから、本業を頑張ってくれ~!新刊何年待ってると思っとるんや~~!!」と叫びたくなるのは、あの漫画家さんに対してですが(もう登場人物が多すぎてストーリー忘れちゃったよ…)、そんな本編から離れた場所でのやり取りすらも、楽しかったりして。むしろその1行を読むことで、本編の味わいが増したり(増さなかったり)。

再度言うと私は、そんな見開き1ページの「あとがき」や、漫画の「作者の一言」が結構好きで、それはエッセイとちょっと似ていると思う。

では、こうしてエッセイを書いている、私の本業ってなんだろう。主婦?妻?母?なんだかどれもぼんやりしてるけれど、まあとにかく、その生業を全うしているリアルな生活の方で起こる、様々なトピックに対しての「あとがき」、それがこの1500字(最近全然収まってないけど…)のエッセイなんじゃなかろうか。

外側に立って、他者に語る。それは、自分の事のようで、他人事

書かれている内容は、もう既に終わったストーリーだったり、今も連載が続いてるけど考え直したいことについて。一旦それらのエピソードの外側に立って、他者に語る。それは、自分の事のようで、他人事。本編とは異なる世界線から、「あの時はこうだった」とか「実は今はこんな気持ちで」とか、1本の文章に練り上げながら心理描写を加えつつ、やいのやいのヤジを飛ばす。

いや、ヤジ飛ばし系エッセイを書いているのは私だけで、本サイトには、本当に、実に繊細な、みっちりと隙間なく糸が通された刺繍作品の様なエッセイも沢山投稿されているのだから、一括りには言えないか……

というか、責任転嫁をさせてもらうけれど(また始まったよ…)、おそらく私が今まで読んできた作品の作家さん達は、過剰にイキイキと「あとがき」に向き合いすぎなのだ。私はもはや「あとがき」から読むという、恐ろしく邪道な行為をしたことがある事をここに告白するけれど、それは私のせいじゃない。「あとがき」で本業並み、もしくはそれ以上のパッションを見せつける、文学作品の作家さん達のせいだ!(ほらまたヤジを飛ばす…)

世の中には「あとがき」は読まない、興醒めするから。と主張する派閥もあるらしい。確かに、それも1つの文学作品の読み方。しかし、こうしてエッセイを読むのが好きな方は、「あとがき」が嫌いじゃないしむしろ好き、という方が多いんじゃないだろうか。私はエッセイのあとがきほど、良い味のする出がらしは他に無いと思う。

ここで最初の疑問、「この筆者さんのエッセイ、結構な数読ませてもらったけど、一体どんな人が書いてるんだろう」に立ち返る。そして、エッセイに書かれているのは筆者の本業の中の、1エピソードについての、「あとがき」。そうであると仮定する。

だとしたら、そこから筆者がどんな人なのか掴むのは、結構至難の技なのでは……??想像して手が届く範囲に、かがみすと大久保遊花さん山逆さんは居ないのだ。…う~ん。気になる……(好きです)。

まあこの文章も、平凡な主婦、筆者いくらの日常エピソードの「あとがき」だから、あまり当てにせず、のんびりと読んで頂けている事を望む。

私の本業のリアルを垣間見ることなく「あとがき」を先に読むという、ある種のアウトロー行為をして下さっている皆様の脳内で形作られている、筆者いくらという虚像の、3割減位の女が、マクドでポテトを摘まみながら、この文章をスマホに打ち込んでいるんですよ。

さて、私はそろそろ息子達のお迎えに行かなくっちゃ。それでは皆様、失礼致します。筆者いくらは、本編に戻る。