私は、化粧が好きだ。
私にとって、化粧とは、なりたい自分に変身できる魔法のような存在だ。
化粧を好きになったのは、10歳の時のある出来事からだった。

2歳から習っている日舞で、おぼこ娘が舞えないような曲に出会って

私は、2歳の頃から近所の教室で日舞を習っている。日舞には、細やかな仕草で、あるときは可憐な町娘、あるときは、勇ましい侍など、様々な役を体に秘めて表現する。10歳の時、私は、ある歌を舞うことが決まった。その歌とは、長唄で有名な曲『黒髪』だ。

黒髪の
結ぼれたる思いには
溶けて寝た夜の枕とて
ひとり寝る夜の仇枕
袖は片敷く妻じゃというて
愚痴な女子の心も知らず
しんと更けたる鐘の声
昨夜の夢のけさ覚めて
床し懐かしやるせなや
積もると知らで
積もる白雪

という歌詞だ。
問題は、意味だった。この歌詞には、独り寝の寂しさを嘆く女性の心のうちが明かされている。男性も通わせたことのないような、おぼこ娘が舞えるような歌ではないのだ。

「もうええわ」と言われ、練習中に泣くほど悔しかったけれど

しかし、体験したことがないからと言って舞わない訳にはいかない。なぜならば、体験したことのない事柄を演じるのが日舞だからだ。
けれども、やはり10歳の娘に共寝、独り寝のことなど知らず、悲しさゆえの色気など出しようがなかった。どうやっても、ブリキ人形のように固く、ぎこちない動きになってしまった。お師匠様から、
「もうええわ」
と言われて、悔しさから練習中に泣いていることもあった。

どうすれば、『黒髪』を舞うことができるのだろう。毎日、試行錯誤していた。しかし、結果は出ずにとうとう発表会の日がきた。
その日は、お師匠様自らお化粧や着付けをしてくれた。化粧中、真っ赤な紅を引いた時。自分が変わっていくのを感じた。
私は、それまで紅を付けなかった。いつも朱紅だった。真っ赤な紅を引いた自分は、もう10歳の娘ではなかった。誰がどう見ても、大人の女性だった。
お師匠様は、
「秘伝やで」
とにっこり笑った。
純白の鶴が黒い着物のうえを飛んでいる。コントラストを描いた。着物を身にまとって、一度練習をしてみた。体は、するりと動き、表情は、凛としていた。

鳴り止まない拍手。私は、色気の必要な役が得意になった

これなら大丈夫。そう思えた。本番前、舞台裏でお師匠様が仰った。
「固くならんとゆっくり動き。色気は美しく隙を見せることや」
私は、舞台にたった。眩しいぐらいのスポットライトが私にふりそそいだ。

曲が始まると、目を伏せ目がちに、唇は寂しげに。舞は、優雅さとほんのり隙を、けれども気は抜かずあくまで私は、『黒髪』の女。
5分ほどの舞が終わると、観客席からは、拍手が鳴り止まなかった。観客席にいる人たちは、見ず知らずの人なのに、私を褒めてくれた。認めてくれた。それだけで胸に迫る思いがあった。

あれから8年後。お師匠様は、亡くなった。死因は、癌だった。それからずっと、お墓参りは、欠かさない。
私は、色気の必要な役は得意になった。あの時の観客にはファンの方もできて、文通をしている。そして、化粧が大好きになった。
特に赤いリップを見る度にあの時引いてくれた紅を思い出す。あの時の秘伝の紅を。