私が大学生になってまだ間もない頃。とある夜の、とあるグループの定期配信。
全員揃っての出演のはずが、画面に映っているのは正装で神妙な面持ちをしたM君一人。その緊張感から、大体の察しはついていた。
内容は、M君が次のシングルをもって卒業するという報告だった。

他のメンバーとは違う卒業報告。彼は「会いに来てほしい」と言った

それまでに私は、このグループからの卒業を二回見ていた。
一人目はY君。彼は、私がこのグループを知るきっかけになった作品の中にはいた。けれど、私がその作品を手に取ったその時には、既に卒業していた。知っているはずの、好きになったはずの人は、気付けばもういなかった。

二人目はR君。彼の卒業は突然のことだった。あるツアーの途中に体調を崩し、そのままドクターストップを受けて活動が出来なくなってしまったのだ。グループに迷惑をかけながら在籍し続けることよりも、卒業することを選んだのは、ひたすらにストイックだった彼らしくもあった。しかし、当時地方住まいで高校生だった私は、そのツアーに参加することも、卒業イベントに駆けつけることも叶わなかった。

二人の卒業は、私からとても遠いところで、実感のないまま過ぎて行った出来事だった。Y君もR君も、一番の推しかと問われたら否と答える。けれど、「会えるのならば会ってみたいひと」たちだった。

M君の卒業は、二人とは違っていた。次のシングル発売前には、過去最大規模の全国ツアーを控えていた。そのツアーが始まる前に、卒業する旨を報告してくれた。そして言ってくれたのだ、「このツアーで自分に会いに来てほしい」と。

深夜。「会いに来てほしい」といった彼に会うために向かったコンビニ

「会えるのならば会ってみたいひと」と会う機会が、すぐ近くにある。すぐ近くまで来てくれる。それを掴まない手はないと思った。
私は配信が終わってすぐ、隣県の会場のチケットに余りがあるのを確認して申し込んだ。そしてそのまま、コンビニへと走った。当時クレジットカードを持たせて貰えなかった私は、チケットの支払いも発券もとにかく早くと、気が急いていた。深夜1時過ぎのことだった。
そして私は人生で初めて、一人で勝手知らぬ土地でのライブに参加することになった。

正直なところ、M君も一番の推しではなかった。けれど、「会いに来てほしい」と言ってくれた、ライブへ行くきっかけをくれたひとだ。そして何より、最初で最後の機会なのだ。ライブ中、私は他の誰よりもたくさんM君を目で追っていた。焼き付けるような気持ちで、けれど半ば無意識に。

そしてライブ後の握手会でも、私はM君の所へ行った。「会いに来てくれてありがとう」と、お互いに言い合った。そしてM君は「ライブ中、たくさん目が合ったね」と言ってくれた。必死に目で追っていた私のことを、M君も気付いてくれていたのだ。私は、「ああ、会ってみたいひとにちゃんと会えたのだ」と深く実感した。最初で最後、だけどそのたった一回が実現したことに、深く感謝をして喜んだ。

「会いに行ける」「会いに来てくれる」ことの、かけがえのなさを知った

このライブをきっかけに、私は他のライブにも積極的に足を運ぶようになった。大学生の一人暮らしという自由な環境に身を置いたことで、それができるようになったことも大きいけれど、何より「会いに行ける」「会いに来てくれる」ことの嬉しさ、楽しさ、そしてかけがえのなさを教えてもらったことが大きかった。

どんなライブもイベントも、次があるか分からない、たった一回の機会だと思うようになった。コロナ禍でリアルイベントの縮小が進む今、改めてあの頃の楽しさや自由は、とても尊いものだったと思う。実際、参加予定だったイベントが無観客に変更されたり、中止になってたりして、とても寂しい思いをしているので尚更だ。

参加してきた全てのイベントに参加出来た喜びを、会いたいひとに会えた喜びを、今でもしみじみと噛みしめている。そしてまた、会いたいひとに会える機会が一刻も早く訪れることを切に願っている。