これは三年前の話。
私がまだ、二十二歳の世間知らずな新入社員だった時のこと。

魔法の言葉を鵜呑みにして入った会社。半年でやめようか悩むことに

「好きなことを仕事に」
就職情報サイトにあふれる魔法の言葉を鵜呑みにして、音楽番組・ライブの企画を行う会社に飛び込んではや半年。
私は、会社をやめようか悩んでいた。
理由はあまりにも単純で「思っていたのと違った」から。

むさ苦しいおっさんや、嫌いな同期とも協力しなくちゃいけない。
学生の時みたいに、避ければ済むってワケじゃない。
すぐ声を荒げる、野蛮な上司ばっかり。
親にだって怒鳴られたことないのに!
体力的にも精神的にも、こんなに辛いと思ってなかった。
だって「好きなこと」なら多少キツくても楽しいと思っていたのに……。

今思えば実にくだらない、甘ったれたことで眠れないくらい頭を悩ませ、人生お先真っ暗なんじゃないか、と真剣に落ち込む日々。
好きで音楽の仕事を選んだのに、どうして楽しめないのだろう?
その疑問が、呪詛のように私の精神を蝕んでいた。

先輩が担当した収録は苦しい気持ちから解き放たれるキッカケになった

中高を体育会系なオーケストラ部で過ごし、大学でもバンドに明け暮れた私にとって、音楽は常にそばにあるもの。
悲しいことがあった日も、楽器を弾いたり、ライブに行けば元気になれる。そんなパワーの源だった。
部活やバンドと同じくらい、仕事に情熱を注ぎたかったのに……。

苦しい気持ちから解き放たれたきっかけは、ある日の収録。
亡くなったばかりのミュージシャンの追悼番組だった。
企画を担当した先輩は、職場で「変わり者」という扱いを受けていた。

とにかくこだわりが強くて、多少時間が押すのもなんのその。飄々としていて、部長からの小言ものらりくらりと躱してしまう人……。
でも温厚で知的で、いろんなジャンルの音楽に造詣が深い人でもあった。

収録の途中、ふとその人を見て、私は驚いた。
びっくりしすぎて話しかけることもできなかった。
だって、人目も憚らず涙を流していたから。
自分でキャストを集め、内容を決めた企画の収録を見ながら、泣いていたのだ。
自らが手がけた仕事にそれほど満足できる。なんて羨ましいのだろうかと、私は強烈に嫉妬した。

ビールの力に頼って先輩に感じたことを話すと、返答は意外なもので…

夜の十時くらいまでかかった収録の後、先輩を含めた数人でスタジオ近くの居酒屋へ。
鉄板焼をつまみながら、ビールの力に頼って、私は思い切って口を開いた。
「先輩の涙を見て、羨ましかったです。そんなに充実した仕事ができたら幸せだろうって」
その言葉を聞いて、彼は少し恥ずかしそうに笑った。

男泣きしたことはその場にいた全員が知っているのだから、今更恥じることもないのに。
先輩は「今日はたまたま、一割の方だったんだよ」とボソッと呟き、言葉を続けた。
「俺の十五年の経験上ね、仕事なんて九割は嫌なことだよ。思い通りに企画が進まなかったり、人間関係に疲れたり、会社に指示されたことを嫌々やったり。
でも、残り一割の魅力に気付いたから、続いてるんだと思う」

ガーン。
天地がひっくり返るくらいのショック。
そもそも、100%楽しく仕事をしたいなんていう考え方が間違ってたんだ。
なんだよ、それ。

KOされたボクサーのように呆然としている私のことなんてつゆ知らず。
「僅かでも楽しいと思える部分があるなら、その仕事はきっと向いてるよ」
先輩は優しい笑顔でそう言った。

あの夜があったから、葛藤を抱えながらも、仕事ができるようになった

キラキラしたお仕事ドラマとか、就活サイトに載っている希望に満ち溢れたインタビューとか。美しい幻想だけ見ていて、全然気づかなかったんだ。
きっと、社会に出て働いている人の多くは、矛盾とか葛藤とか嫌な気持ちを抱えながら、それでも楽しさを見つけながら仕事をしている。
じゃあ、私だって普通じゃん。

あの夜があったから、私はある程度割り切って、今も会社に勤めている。
そこそこ責任ある仕事も任されるようになって、時々だけど、泣きたいくらい嬉しいこともある。
全身全霊かけられるような仕事に出会いたいって気持ちは捨てきれなくて、そんなチャンスを探す自分もいるけど……。
とりあえずは、気負わずほどほどに頑張っていこうと思う。