午前4時10分。
「△△航空○○便、××行きのご搭乗手続きを開始いたします。本日も△△航空をご利用いただき、誠にありがとうございます」
アナウンスが終了すると同時に、チェックインカウンターの前で一列に並んだ私たちはチェックインを待つお客様に一礼をする。この瞬間がとてつもなく好きだ。

「素敵な旅になりますように」。搭乗手続きは、私の心と笑顔を添えて

頭上の大きな窓に映るのは、夜明けを待つ深いネイビーの空。目の前には大きな荷物を携えて出発の時を待つお客様。今から私たちが安全で快適な空の旅へ送り出すのだ。
「何かのはじまり」を感じさせるこの光景は、毎日見ていてもなんとも言えない緊張感と高揚感を運んできて、私の背筋をスッと正し、自然と口角を持ち上げる。
イタリアへの新婚旅行、アメリカへの留学、トルコへの卒業旅行、ドイツへの転勤……手続き中のちょっとした会話から十人十色の旅の目的が浮かび上がる。
「素敵な旅になりますように!」
搭乗券を発行してパスポートとともにお客様に渡すのは、旅好きでこんなに飛行機が近くにあっても自分は飛び立てずお客様を見送ってばかりの私の心だ。
午前5時50分。
搭乗手続きを終えたお客様たちをいよいよ機内へと案内する。さっきは眠そうにしていたお客様も、自分たちが乗る飛行機を目の前にすると旅の実感が湧いてくるのか、なんだか生き生きとして見える。
この時間は早起きした人へのご褒美タイムだ。眩しい光を放つ朝日が空の色を複雑に変えながらゆっくりと昇っていく様子が、空港と飛行機を繋ぐ通路から見事に見えるからだ。思いもしない絶景に見惚れたお客様たちが思わずスマホを構える。

早く一人前になりたくて、忘れたくなくて作った日誌は、日毎に増えた

午前6時10分。
すべての出発の準備が整った飛行機の扉が閉まる。飛行機に向かって一礼する。安全で快適な空の旅を提供するためのバトンは機内のクルーへ渡した。達成感で心が満たされていく。
滑走路に向かってゆっくりと動き出した飛行機を見届ける。一緒に乗り切った先輩同期後輩みんなが緊張から解放されて表情が緩む。「お疲れ様でした!」
毎日同じことを繰り返しているようで、一期一会という言葉がぴったり合うようなこの仕事には退屈している暇はない。幼い頃から憧れてきた職にようやく辿り着いた私には、嬉しいことがあった日も失敗をして落ち込んだ日もキラキラと輝くような日常だ。
その日に新しく学んだ知識、反省点、上司や先輩に褒められたこと、印象に残ったお客様とのやりとり……早く一人前になりたくて、どれもこれも忘れたくなくて、初めて現場に立った日から自分だけの「日誌」を作り、何でも書き残した。今まで日記を書いてもほぼ続かなかったのに、この「日誌」は1冊2冊と増えていった。

決断に後悔はなく、充実しているのに、なぜ日誌を捨てられないのか

それは突然、じわりじわりと近づいてきた。新型コロナウイルス。最初は、どこか遠くの知らない世界で起こったことのようで、現実味もなく、大して何も変わらないだろうと漠然と信じていた。
しかし、状況はどんどん悪化して世界中に広がっていった。毎日満席だった飛行機には空席が目立つようになり、にぎやかで華やかだった空港はがらんとして静けさに包まれていった。本来なら旅の期待に満ちて輝いていたはずのお客様の表情は、マスクの下に隠れてしまった。そしてついに、私たちの担当していた便は運休が決まった。
それから1年8ヶ月が経った今、私は大好きだった場所にはいない。大好きな先輩同期後輩たちも多くがそれぞれ別の道を進むことになった。
葛藤の上に決断に後悔はない。今は今で充実している。それでも、どうしてたくさん書き込みをしたマニュアルや「日誌」を捨てられないんだろうか。2度と使うことはないだろうに。
数少ない同期との制服姿の写真は未だに壁に貼ったままだ。頭の中を整理したい時に足が向かう先は、たくさんの飛行機が旅立ちを待ちながら羽を休めている場所だ。
過去の私はこんな未来を予感していたんだろうか。途中になってしまった「日誌」用のノートの表紙には、ドイツ語でこうプリントされている。

「Am Ende wird alles gut. Und wenn es nicht gut wird, ist es noch nicht das Ende.
――最後にはすべてがうまくいくだろう。もしそうでないなら、まだそれは終わってないということだ」