時間がかかり面倒だからこそ、相手の温度感が伝わるのが手紙

インターネットやSNSが発達したいま、手紙を書くことはかなり「めんどうなこと」になりつつある。
手紙を書くために、まず便箋を買い、ペンを選び、便箋に入り切るように文字量や文字の大きさを考えて、どこで文字を区切って……。
考えることが沢山ある上に、書き始めて間違えたら簡単には消せない。
修正テープでうえから白く塗りつぶしたり、ぐじゃぐじゃっと文字の上を塗りつぶし、目を描いてミノムシ風にごまかしたり。
どうみても間違えたことが分かるようにしか修正ができない。

メールだったら、SNSだったら、全て親指を滑らせて、出てくる文字を直すのも親指の操作1つで済む。
間違えた痕跡すら残らない。
この便利すぎる薄い四角い機械でのやり取りが増えた今でも、私は紙での手紙のやり取りが好きだ。

時間がかかり面倒だからこそ、書いてくれた相手の温度感や私のことを思って書いてくれた時間が紙の向こうから伝わってくるように感じる。
受け取った時、なんとも言えない喜びを感じるのだ。

憧れのモデルからの返事がキッカケで、大好きな人に手紙を送るように…

私にも思いが伝わるよう、相手のことを思ってレターセットを買い、文字を丁寧に書き、思いを込めて封をし、手紙を出す相手がいる。
それは、応援しているアイドル達だ。

初めて「ファンレター」を送ったのは、小中学生向けの雑誌のモデルだった。
いつも笑顔で可愛い姿を見せてくれる彼女に憧れていた私は「応援しています。大好きです。かわいいです。ずっとがんばってください」という旨の手紙を送った。

彼女が手紙を読むかも分からなかったし、返事はないものと思っていたら、その次の年のお正月に彼女の事務所から、彼女の写真付きの年賀状が送られてきてとても驚いた。
しかも、直筆でサインと「いつも応援ありがとう」の文字が入っていた。
彼女にとっては流れ作業だったかもしれないが、その労力を割いて手紙を送ってくれたことがとても嬉しく、温かい気持ちになった。

彼女が手紙を読んだのかは分からなかいが、あったこともないが大好きな人に手紙を送るという不思議ながらもあたたかい経験は、自分にとっても心の整理になるいいことだと思った。

どうしてあなたが好きなのか。
どういう所に惹かれたのか。
どんな表情が好きなのか。
自分の中の相手への好意をまとめ、送り付ける行為は、幼いエゴだったと思う。
私は、好きになったアイドルや芸能人に手紙を送ることで、自分の気持ちを相手に届けられる喜びにとりつかれていた。

空港で書いた最後のファンレターは、まるでラブレターのようだった

そんな中、私はたった1度、書いた手紙を送れなかったことがある。
ある日、私の応援していたアイドルが、卒業と、芸能界引退を発表した。
彼女は、私の住んでいた地域からは飛行機で行かないといけないところで活動していた。
彼女が近くに来るときや私が近くに行くときは会いに行っていたが、正直まだまだ続けるだろうと思っていた部分もあり、かなりショックを受けた。

発表の日から卒業、引退までは3ヶ月で、まだチケットも当たっていないのに最後の日の現場へ向かう飛行機と宿を押さえた。
当時は就活中で、最終日も就活があるはずの日程だったが構わなかった。
最後の日くらい、盛大に送り出したかった。
無事チケットも当たり、最終日の前日の夜、朝イチの飛行機に乗るために待機していた空港で、最後のファンレターを書いた。
今までで1番心を込めたファンレターだった。

出会えて私は幸せだったこと。
笑顔もダンスも歌も何もかも大好きだったこと。
優しさにいつも救われていたこと。
これからも夢に向かって頑張っている姿を応援していること。
これからもずっと大好きなこと。
書ききれない彼女への思いをそこそこに、流れる涙もそのままにしたためた、ラブレターのようなファンレターだった。
書き終えた手紙を読み返し、彼女に渡しても問題ない表現がないか確認した後、大切にカバンにしまい、最後のステージが終わったあと、受付に預けようと思った。

家に帰ってから捨ててしまった彼女への手紙。ずっと幸せでいてほしい

最後のステージが全てが終わると、私は彼女への手紙を受付に預けず、そっと鞄にしまった。
彼女の輝く笑顔はなによりも美しくて、私の想いや言葉は、彼女の前では全て嘘みたいに思えてしまったからだ。
一晩でこんなに伝えたい言葉が変わってしまうなんて、と思いながら、鞄の上から手紙を撫でた。
そこに書き留めた思いも、その時伝えたいと思った思いも、どちらも嘘ではなかった。

その手紙は家に帰ってから捨ててしまった。
捨ててしまっても、私の彼女への思いはいつまでも変わらない。
ずっと幸せで。ただそれだけ。