私の両親は、昔の人間だ。それは祖母からずっと受け継がれているみたい。
祖母は、「結婚して、子どもを産むこと」を大切にしている。
だからこそ、時代を先駆けて「結婚しない」道を選んだ叔母のことを、よく「かわいそうだ」と批判する。
父も母も、テレビを見ていれば「この人は男か女か」「中国人」「黒人」がどうとか言い始める。
こんな両親のようになりたくなくて、私はいつも両親の提案する道とは反対の方向を無意識に選んできたようだ。
高校も、両親が提案する近い高校に行くのはやめた。
進路も、両親と思っているのとは違う方向に進んでいる。

自分の居場所を探すため、留学したアメリカで体験した「人種差別」

やりたいことにはなりふり構わず飛び込み、縛られるのを嫌がった。

そんな私は、とにかく好奇心旺盛に育った。

でも、圧倒的に抜けていたのは自己肯定感。この性格なので、周りから煙たがられたり両親から否定されることも少なくなかった。
外では平気なふりをしていたが、自分で飛び込むことにも「親の目」「世間の目」を気にしてネガティブになっていた。

そんな大学4年生の頃、私は留学した。
もう、何もかもを捨てたかった。
私の居場所はどこか、探していた。

アメリカはとてもフレンドリーで、いろいろなバックグラウンドの人を受け入れるものだと思っていた。

でも、現実は、違った。

私は、生まれながらの肌の色、髪の色、目の形で差別された。
すれ違うと「リトルモンキー」といわれ、授業の時には私の隣に座ってくれる人はいなかった。
ご飯を食べに行っても、ガラの悪い老人が「醜い集団」とののしった。

私は、初めて「人種差別」された。初めて「マイノリティ」になった。

私が住んでいた場所はかなり保守的な場所だったらしい。
そんな中で、私は自分が「日本人」であることを呪った。
自分がここには存在してはいけないのか、とも思った。

たった一つ経験で、「アメリカ人」を差別しているのは、私だった

アメリカに来てから半年後、私の価値観を大きく変えることがあった。

大学に交換留学生として来ていた私は、音楽をしたいと思い合唱団に入った。
周りは、ほとんどがアメリカ人。私よりも英語が話せて、私よりも友達がいる。
先生が入ってくると、それはとてもフレンドリーな雰囲気だった。
私の名前を呼び、私の席を決め、私のバックグラウンドを紹介してくれた。

それからというもの、毎日のようにうれしい言葉を伝えてくれる人が増えた。
隣の席になった子が「あなたはとてもきれいな声ね」と話しかけてくれた。
前に座っている子が「今日の服、素敵ね」とほめてくれた。
後ろの子が、いつもちょっかいを出してくるようになった。
一緒にご飯を食べたり、出かけたり、海外に行ったりもした。

アメリカにも、悪い人ばかりがいるのではないことを知った。
そこで、私は自分がたった一つの経験で「アメリカ人」を差別しているのだと知った。

日本に帰ってきてから、私は見違えるように自信を持つようになった。今回は本当に自信があった。

自分は生きているだけで、価値がある。そう思えたのも、アメリカ人の友達が私が存在していいことを教えてくれたから。

私の強みは、マイノリティになった経験。「普通であること」はやめた

日本人であるからこそ、アジア人であったからこそ、あの地に行ったからこそ、学べたことがたくさんある。

日本には、たくさんの外国人が来ている。日本人であっても肌の色が違ったり、日本語が喋れない人もいる。

私の強みは、マイノリティになった経験があることだ。

たった少しの経験だけれど、これは絶対に活きる自信がある。

私は、「普通ではない」。
けれど、日本において私はマジョリティではないかと思う。なぜなら、今の生活に困難を抱くことが少ないから。

もう「普通であること」はやめた。尊敬する誰かと同じように、一つのことを突き進めるプロフェッショナルになるのはやめた。

今、私は子どもに関わる仕事をしている。

私は私のやり方で、私は私の経験をもとに、
「『普通』でなくていいんだよ、『普通』なんてないんだよ」
と、子どもたちに伝えている。