物心をついた時から孤独だった。
と言うと、誰しもが「絶対そんな事ないよ」と、口を揃えて言うのだ。

両親は日本人とフィリピン人、いわゆるハーフとして生まれてきた。当初両親は結婚しておらず、仕方なく生まれてきた命が私。妹が生まれてきた時に結婚した。両親が結婚してからは別居してまた同居してと複雑だった。私が7才の時、弟は生まれた。家庭はとても円満だったと言える。
……11才になるまでは。

両親の離婚、引っ越し、自由な時間。壊れるのはとても簡単だった

壊れるのはとても簡単だった。当時の私はそんなに深刻な事だと思ってもいなかった。が、当時両親揃って別の相手がいたのだ。信じられなかった。結婚ってこんなにも簡単に壊れてしまうのか、と。

離婚をして引っ越しをしてから人生が一変した。弟と妹の世話や家事をする為入っていた部活は途中で辞めてしまった。時間が足りなかったのだ。自由な時間という時間がなかった事からストレスが溜まった。
さらに母からの虐待を受けるようになった。どんなに血を流しても止めることはなかった。止める人もいなかった。このまま死ぬのだと何もかも諦めた瞬間だった。
高校入学してからは、好きな事をしながら一刻も早く家を出るためにアルバイトを頑張った。特殊な高校に通っていた為課題に追われながらも部活とアルバイトの両立をした。両立しながらも学費全額自ら払うようになり母は何も言わなくなった。
そして、高校卒業後就職し、半年後に一人暮らしをした。とても解放されたのだ。
しかし、人生が上手くいくなんて程遠かったのだ。

結婚、妊娠し、幸せに浸ったのも束の間、再び始まる孤独との戦い

会社の倒産を経験してからさまざまな職場を経験した。飲食店、ガールズバー、パチンコ屋2店舗。現在も店舗が存在するのはガールズバーとパチンコ屋2店舗目のみ。自分自身、店潰しの人間になってしまった。現在は医療事務で働いている。
さまざまな職場を経験して、それなりの人間関係も築いてきた。パチンコ屋1店舗目で出会ったとある彼と再会を果たし交際。現在結婚をして半年後には第1子を授かった。
「結婚を前提に、僕と付き合ってください」
真剣な眼差しと、少し震えた手が今でも忘れられない。真っ直ぐな彼に惹かれたのだ。
この結婚で今までの苦労は報われたのか、そう幸せに浸っていたのも束の間。再び孤独との戦いが始まったのだ。

妊娠初期のつわりがとてもひどく、1ヶ月半ほど仕事を休んだ。休んでいる間、旦那は心配してくれていたが、育児休業中の給付金の話を聞いてから一変、働けの一点張り。
転職してから半年後に妊娠が発覚し、仕事を辞めてもいいと言っていたが、そういうわけにもいかなかった。旦那の収入はとても不安定だったからだ。
貯蓄もなく、なぜこのタイミングで子供を作ってしまったのか。一度後悔したが、そしたら自分の母と同じではないか。何度も自分に言いかけた。

何が幸せかわからない。女の幸せは結婚と、未だにそう言えるのか

臨月ぎりぎりまで働かなければいけないプレッシャー。職場の環境的に臨月まで働ける環境ではないからこそ、それが叶うのか。私のやる気次第なのか?
転職して半年後だからこそ起きた悩みにすぎない。これが1年後だったら?こんな悩みもしなかったであろう。

結婚をしてから家の事を中心的に行っていたからか、自分の好きな事を疎かにしてしまった反動が今きている。中学生の時の自分に戻ってしまったようで、孤独。
旦那がいるだけまだマシ、そんな事を言う人が嫌い。
器用に生活していた高校生の時とは反対に、自由な時間を作れないほどとても不器用になってしまった。

何が幸せかわからない。
女の幸せは結婚だ。未だにそう言えるのか。
自由こそが幸せだ。
生まれた子供には、自分のように何かに縛られず自由に生きてほしい。